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イケテル仕事人|作家チーム・パローラ代表 明川 哲也さん

PROFILE

1962年、東京生まれ。早稲田大学東洋哲学科卒業。予備校講師、フリーライター、放送作家などを経た後、ドリアン助川の名前で『叫ぶ詩人の会』を結成。1995年からはラジオ番組『ジャンベルジャン』のパーソナリティーとして、5年に渡り若者の人生相談を受ける。その後、ニューヨークに3年間在住し、2003年に帰国。明川哲也の名で作家活動を開始。

PERSONAL DATA

平均就労時間 :16時間


1日のスケジュール

好きな言葉
「楽しむために、生まれてきた!」
趣味 :バーめぐり

イケテル仕事道具

創作教室で振舞う手料理

イケテル仕事

『孤高を噛む、ピーマンも噛む』

『チーム・パローラ』、
明川哲也氏の個人事務所

INDEX

フード・デザイニスト カリナリィ アート スタジオ ソニア 笹生 暁美さん

vol.13
フード・デザイニスト
カリナリィ アート スタジオ ソニア
笹生 暁美さん

経営者 ディーコープ株式会社 谷口 健太郎さん

vol.12
経営者
ディーコープ株式会社
谷口 健太郎さん

経営者 株式会社カフェグローブ・ドット・コム 矢野 貴久子さん

vol.11
経営者
株式会社カフェグローブ・ドット・コム
矢野 貴久子さん

その昔、『叫ぶ詩人の会』のボーカリストとして、あるいはラジオ番組のパーソナリティーとして、若者の兄貴役をかってきた明川氏。現在、氏は既存の文学の枠に囚われない自由でオリジナルな作風を持つ作家として、新たな船出を迎えようとしている。年末年始特別号では、作家・明川哲也のこれまでとこれからに迫る。

気がつけば、ずっと型にはまることができなかった

予備校講師、フリーライター、放送作家、バンドのボーカリスト、ラジオ番組のパーソナリティーと、様々な職業を転々としてきた明川氏が最後に選んだのは、作家である。なぜ、氏は作家の道を選んだのだろうか?

「いろんな可能性があったと思います。それこそ10代の頃はスポーツ選手を夢見たこともあったし、芝居もやった。もしかしたら、映画を撮る人間になっていたかもしれない。20代、30代はバンドをやっていて、一時はそれで食べていたこともあった。でも、そうした可能性が1つずつ切られていった。自分から諦めた可能性もあるし、世間からの審判が下ったという部分もある。そうやって可能性がだんだん狭まっていき、ふと振り返ってみると、自分はずっと文字を綴ってきたんだということに気づいたんです。それが小説を書き始めたきっかけでした。だから、特に作家になって一旗上げようとか思ったわけでは全然なく、文字に関する仕事が最終的に自分に残ったという感じですね」

淡々と語る明川氏。しかし、そこへ至る道程は、決して生易しいものではなかった。

「職業に就くということは、ある意味、1つの型にはまっていくことです。例えば、ロックスターは絶対に名刺を配っちゃいけない(笑)。そういう職業特有の振舞いの型がある。一時期、放送作家をやっていましたが、それにも型があった。揉み手をしながらディレクターに接するような人が多くて、その型にはまることができないと現場で浮いてしまう。僕も見習おうとはしましたが、どうしても巧く振舞えなかった。バンドでは、割と自分の好きなことをやっていられました。でも、自分の好きなようにやっていると、今度は周りに迷惑が掛かってしまう。いくら好きにやるといっても、少しは売れなきゃならない。レコード会社は「個性を持つのはいいけれど、せめて3万枚は売れてくれ」と言う。すると、段々と姑息になっていき、流行の歌を意識しだしたりする。そうやってバンドは失速していきました。考えてみれば、僕はいつも型にうまくはまれなかった。基本的に不器用なんです」

どうしてもはがれない「人生相談のプロ」という肩書き

やがてバンドは解散。華やかだった明川氏の周りから、親しいと思っていた人たちまでもが離れていった。さらに追い討ちを掛けるように、作家という職業は、明川氏に安らぎの地を与えてはくれなかった。

「人生相談のラジオ番組で世に知られるようになりました。その時の「人生相談のプロ」という肩書きが一人歩きしてしまい、それ以外の仕事がこなくなりました。生き難さで窒息寸前になり、3年間日本を離れました。名前も変えましたが、一度付いたイメージを壊すことはできなかった。何とかして作家として認められたいと思いましたよ。そのためには本がむちゃくちゃ売れるか、文学賞を獲るか。しかしそこにもやはり型があって、直木賞が欲しければそれなりの文章の書き方があります。でも、それを意識しだすと、とても窮屈なんです。自由になるために文字を書いているのに、文字に縛られてしまう。しかも、何冊書いても売れないんです。文章を書くということは、僕に残された最後の可能性だった。なのに、まったく評価されない。もう、僕は生きていく術を失ってしまった。そう思い、多摩川の土手で呆然と立ち尽くしていました」

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