“文章を書いて生きていく”という、たった1つ残された道すら閉ざされようとしていた明川氏。氏を救ったのは、自分で書いた一遍の小説だった。
「今年の夏、とにかく自分が書いていて楽しい話を書こうと思い、大人の童話と呼べるような小説を書いたんです。内容は、“誰にも負けたくない一念でエベレストより高いジェットコースターを作っちゃう男”の顛末です。その作品をある編集者に見せたところ、彼女が笑いながら泣いているんです。読み直してみたら、途中から自分も泣けてきた。これだったんだ! と気づきました。文学賞とはまったく無縁だろうけど、書いている自分が楽しくて、読んでいても楽しい物語。これでよかったんだ。何かの型にはまろうとして苦しむのではなく、逆に自分の等身大を職業にしてしまえばいいんだ、と。僕にとって、これはまさにコペルニクス的転回でした。そうしたら、次々とやりたいことが見えてきた」
自己療養のために書いた作品『雲上へ、オーロラマシンに乗って』は、2007年3月に河出書房新社から発売されることになった。さらにこの転回は、明川氏の底に眠っていた温かい記憶を呼び起こす。
「同時に気づいたのが、僕の中にずっと流れ続けていた物語に対する欲求でした。社会に出て20年間、僕はずっと文字に携わる仕事をしてきた。でもその間も、きっと僕のなかでは、子供の頃に母親が読んでくれた『アラビアンナイト』を聞いていた時のワクワク感や、テレビで『ムーミン』を見ていた時の、とろーんとした気持ちがずっと流れ続けていたはず。ところが、職業として文字を書いているうちにその感覚が見えなくなっていた。そのことに、ふと気づいたんです」

その後、明川氏は『チーム・パローラ』という個人事務所を開く。「パローラ」とはイタリア語で「言葉」という意味。この事務所を拠点に、作品の執筆のみならず、言葉を使ったあらゆる活動を展開していく予定だ。
「『チーム・パローラ』では創作朗読教室も開いているんです。教室では、レッスンの合間に僕の手料理を食べてもらっています。料理と表現という、僕の好きな2つのものを一緒にして、自分の仕事にしてしまおうと考えたんです。ほかにも、定期的に物語の朗読をやっているのですが、聞いてくれている人たちの顔が本当に穏やかなんですね。その顔を見ていると、僕も同じ心境になる。バンドをやっていた頃は、周囲に騒がれるのが嬉しかった。例えば、渋谷公会堂でライブをやれば2,000人以上のファンが集まりました。その時の僕は、人に騒がれることが自分の幸せであるかのように思っていた。でも今は全然違います。背伸びをせず、等身大の自分で、アンプを使わずに直接人と関わり、そこから返ってくる笑顔が嬉しい。皆の幸せそうな目が見える今、僕の幸福も手触りのあるものになってきました」

人間関係や社会情勢などは、天気のようなもの。常に動いていて、時には嵐になります。いちいち顔色を変えていたら自分が潰れてしまう。嵐をやり過ごすためには、心の家が要ります。その家とは、自分が幸せを感じられる職業のこと。心の家を見つけるためには自分をよく知ることです。これには年月もかかりますし、紋切り型の言い方ですが、苦労も伴うでしょう。本当の自分は何を望んでいるのか。そこから自分にフィットする職業を見つけてください。
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