第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.21ミュージシャン SHOGO(175R)
夢までの道を描いた
Heroes File Vol.21
掲載日:2010/3/5
「青春パンク」ブームを巻き起こしたロックバンド175R。今回はボーカルのSHOGOさんが、バンド結成からデビュー前後のこと、またブーム後の苦悩の時期を経た現在の心境など、初めて公表する話を交えて、真摯に語ってくれた。
Profile
SHOGO(しょうご) 1980年福岡県生まれ。98年に結成したロックバンド、175Rのボーカルとして活躍し、作詞作曲も担当。北九州を中心にライブ活動を開始し、2001年、インディーズとして初CDをリリース。03年に「ハッピーライフ」でメジャーデビューし、04年に日本武道館にて単独公演を行う。今年2月に全18曲入りのアルバム「JAPON」をリリース。3月から全国19都市21公演でアルバムを引っ提げた「175R JAPON TOUR 2010」が開始。公式ウェブサイト http://www.175R.com
地元の同世代のやり手プレーヤーをスカウトして175R結成
「青春パンク」と称され、若者を中心に人気のロックバンド、175R(イナゴライダー)の作詞作曲を手がけるボーカルSHOGOさん。彼は福岡在住にもかかわらず小学生の時から東京の俳優養成所のオーディションを受けに行くなど、自分の表現の場を積極的に求める少年だった。博多の養成所に通っていたある日、尾崎豊の曲に感動したことから音楽への道に転向。高校からバンド活動に熱中し、オリジナル曲も演奏して目立つ存在に。そんな彼が卒業後、プロを目指そうと地元で腕の立つ同世代のプレーヤーを電話でスカウトして組んだバンドが、今の175Rだ。
「俺(おれ)と一緒にやれば絶対に有名になるから、がその時の口説き文句でした。実際、自分の作るメロディーと歌詞はみんなに届くはずという自信もあり、実現のための計画も綿密に練った。まず地元でどう集客し、どこでライブをやり、いずれ東京に出たらどうするかという道程も詳細に決めて、一つひとつ具体的にやっていったんです」
アルバイトをしながらコンテストに出て賞金を稼ぎ、それを元手にデモテープを作り店に置いてもらう。そしてライブや自主イベントをどんどん行うなど努力を続ける彼らの人気に火がついたのは、デモテープを持ち込んだ地元のCDショップから。口コミで売れ、手作りが追いつかないほどだった。さらにテープを有線放送に持ち込み、車で全国を回り積極的にライブを行う。
「当時はお金がなく、メンバーと全国のライブハウスを回った時は車の中で寝泊まりしていました。よくこの頃の苦労を聞かれるけれど、苦労なんて全く感じなかった。自分が思い描いていたバンドマンへの道をたどっている実感があり、楽しかったです」
デビュー後、いきなりオリコン1位 超スピードで夢の武道館ライブを実現
徐々に彼らの元に在京のレコード会社からオファーが入るようになる。2000年のクリスマスイブ、東京でのイベントのライブに初参加し聴衆をノリノリにした彼らは、契約を決めたレコード会社のスタッフとその日の夜に東京タワーに上る。夜景にはしゃぐ彼らにスタッフはこう言った。「ここから見える景色の中にいる人は、来年にはみんな175Rを知ることになる」
半信半疑だった彼らだが、その言葉通り自主製作のCDはインディーズ市場で1位、オリコンでも好位置につけ、03年にメジャーデビュー。インディーズからの勢いに当時の青春パンクブームの追い風も受け、デビューシングル「ハッピーライフ」と2作目「空に唄えば」はいずれもオリコン1位を獲得。彼らのエネルギッシュな歌は若者を魅了し、同年の「NHK紅白歌合戦」に出場、翌年は武道館での単独ライブまで実現する。
「トントン拍子と言われたけれど、自分たちはバンド結成から約6年間着実に歩んできた実感があった。でも武道館だけは違いました。武道館に立つのが夢だったので幕が開いた瞬間、そこからの景色で涙があふれ、あっという間に終わってしまって。こんな風に感情に任せて涙があふれたのは、人生でこの時と子どもが生まれた時だけです」
歓喜の涙が続く最高潮の時だった。
次々と175Rを襲う困難にもがき苦しんだ数年間
武道館ライブという大きな夢を実現した後、苦難が次々と175Rを襲った。まずはメンバーの気持ちのすれ違いから生じた解散の危機。これはメンバー同士が深く話し合うことで団結できたが、何よりも、大ブームを巻き起こした175Rイコール「青春」というイメージの重圧に彼ら自身が苦しんでしまった。
「いかにブームで終わらないか。どう続けるかに試行錯誤したことと、俺たちには『青春』以外の曲もあるという反抗心も生まれ、いろんな曲にトライしましたが、それがファンの聞きたい曲とずれていたのかもしれない。またその頃26歳になり、憧(あこが)れの尾崎豊さんが亡くなった年齢を超え、自分がどう生きたらいいかビジョンが持てずネガティブな感情にとらわれてしまったんです」
そして事務所を独立し、レーベルを移籍。SHOGOさんは自分を励ますような気持ちで曲を作り続け、バンド結成10年を前に迷いを吹っ切る「サンキュー・フォー・ザ・ミュージック」という曲を生み出した。「この曲で原点に戻れた。テーマが青春であれ何であれ、自分たちが気持ち良くやれる音楽をやろうと封印がとけた気がしました」
そして武道館初ライブから5年、活動12年を迎えた今年2月に自身も一番好きだと思える力のこもったアルバム「JAPON」を2年ぶりにリリース。実はこのアルバムを製作していた09年にSHOGOさんはスランプに陥り6カ月間曲が作れなかった。
「吹っ切れた後ですが、今の175Rが何を歌えばいいか分からなくなって。メンバーととことん話し、29歳の自分の等身大の心境を歌うことが175Rの歌になると分かりました。そこから生まれたのが、地方から来た自分が命をかけ闘っている街を歌った『東京』。その後は次々と曲ができ『リフレイン~青春馬鹿野郎~』も30歳を前にした今、『青春』という言葉をあえて叫びたくてできた曲です」
「175Rは死語」を覆したい 己を客観視することから夢は始まる
アルバムジャケットの袴(はかま)姿のSHOGOさんは坂本竜馬をほうふつとさせるが、実はこれ、日本の夜明けならぬ「175Rの夜明けぜよ!」との決意表明だという。
「あえて言うと『175R』はすでに死語。ブーム後の『今』を客観的に受け入れないと何も始まらないと気づいた。夢をかなえるには己を客観的に見つめ、何が必要かを徹底して考える必要がある。ずっとファンでいてくれる人が、175Rはカッコいいと堂々と自慢できるようになるには、やっぱり大きなヒット曲を出すことが大事なんです。また今回のアルバムの裏テーマは『運命』という言葉ですが、僕はずっと運命はネガティブなものと思っていた。でもここ数年自分が多くのものを乗り越えてきたことで、困難にぶつかった時、それを神が与えてくれた試練とポジティブにとらえられるようになった。自分たちの音楽が多くの人の心を打ち、世界を変えるという思いは、一人ひとりの心を動かすことを積み上げれば実現すると信じたい。まずは武道館の再ステージを夢に歌っていきたいと思います」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
鉄板焼きのお店をやっていたと思います。実家もお好み焼きの店ですが、昔からたこ焼きや鉄板焼き屋さんのカウンターで、お店のおばちゃんが作るのを見てるのが好きなんですよ。匂いも音も作る途中も「見せる」から、本当に好き。
人生に影響を与えた本は何ですか?
いろいろとバンドマンの自伝は読んできましたが、やはり矢沢永吉さんの「成りあがり」です。インディーズ時代のアルバムのタイトル「Go! Upstart!」にその英訳語を使わせていただきました。地方から出てきて、やんちゃをしながらも好きな音楽でじわじわ成り上がっていく様子に魅かれますね。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
勝負「柚子茶」です。昔から歌う前は柚子茶を絶対に飲みます。ライブの時は楽屋ではもちろん、リハーサルやステージの上でも飲む。もともとは喉のためだったんですが、今は飲んで心を落ち着かせる意味もあって。逆に歌う時以外はほとんど口にしません。
Infomation
175R 約2年ぶりのニュ-アルバム
「JAPON」が2月3日にリリース
メジャー6作目となるニューアルバムは、175R史上、最多曲数・最長のロックアルバム。テレビ埼玉「浦和レッズスーパーマッチ」EDテーマ「光の中で」、先行シングル「リフレイン~青春馬鹿野郎~」「東京」などを含む全18曲収録。初回特典のDVDは、元猿岩石の有吉弘行氏ほかさまざまなゲストを迎えたコンセプトビデオ「リフレイン~青春馬鹿野郎~/東京(完全版)」ほか、3年に及ぶ活動を網羅する映像作品を収録。また、アルバム名を冠した全国ツアーが3月5日より開始。熊谷を皮切りに、千葉、下北沢、宇都宮、水戸、仙台を回り4月18日の札幌までライブハウスを中心に全国21カ所で開催予定。
定価/初回生産限定版(CD+DVD)¥3,500(税込) 通常盤¥3,000(税込)
発売元/EMI Music Japan