第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.150俳優 平岳大
熱くなれる仕事は容易には見つからない
Heroes File Vol.150
掲載日:2016/6/3
もともと、俳優という職業を選ぶ気はまったくなかったという平岳大さん。熱くなれる仕事を模索し、遠回りをしてたどり着いたのが両親と同じこの俳優という仕事だった。親の元から自立した後、素直に自分と向き合って決めた一生の仕事。だから焦らずブレず、真摯(しんし)に向き合う。そんな平さんに話を伺った。
Profile
ひら・たけひろ 1974年東京都生まれ。15歳で渡米し、ブラウン大学で応用数学を学び、コロンビア大学大学院へ進学。退学してサラリーマン生活に入り、27歳で俳優に転身。三島由紀夫作「鹿鳴館」で初舞台を踏む。30歳で始めたフラメンコでは自主公演も行っている。
183センチの長身にがっしりとした体格、そして精悍(せいかん)なマスクが俳優としての魅力を放つ平岳大さん。デビューは27歳と少し遅めだが、その後、舞台やテレビ、映画で活躍を続け、2016年6月現在放映中のNHK大河ドラマ「真田丸」では武田勝頼役を好演し、注目を集めた。
「デビュー後15年が経ち、最近ようやく落ち着いて演じられるようになりました。演出家に教えを請うだけではなく、自分なりに考えて演じてみるのでダメなら言ってください、というくらいの余裕ができました」
父は平幹二朗さん、母は佐久間良子さんと俳優の両親を持つ。しかし平さん自身は、もともと俳優になる気など毛頭なかったという。
有名人の息子として何かと注目されるのを嫌い、高校時代にアメリカへ留学し、そのまま現地の大学に進学。「当時は医者になろうと思っていたのですが、一向に使命感がわいてこなくて、向いていないなと。そこで医療系ビジネスの勉強をしようと大学院に進みました。でもいまいち面白くない。自分がやりたいのは一体何なのか、ずっとモヤモヤしていました」
何でもいい、熱くなれるものに出合いたい。そう渇望していた時、不動産投資事業で活躍する日本人を追ったドキュメンタリー番組を見て、平さんは衝撃を受ける。
「バブル崩壊後、地価の下がり切った日本の不動産を買いまくっている男性の話だったのですが、やっていることの規模のデカさにものすごく感動しました。この人と話をしてみたい! と思って調べたら、ロサンゼルス在住だと分かり、すぐに電話をして会いに行ったんです」
車でゲートを抜けてもなかなか家にたどり着かないほどの広大な敷地。アメリカンドリームを絵に描いたような豪邸に暮らすその人は、平さんにこう言った。「何か面白くないんだろ。うちに来て働くか?」
平さんは「はい!」と即答し、大学院を辞めて日本に帰国。東京にあるその人のオフィスで働くことになる。仕事の内容は、いわゆる不動産アナリスト。初めてのサラリーマン生活は新鮮で楽しかったが、やがてそれに慣れてくると、また「あれ?」という気持ちがわいてきた。
「これが本当にやりたかったことなのかな、と。そこで、今度はクリエーティブな仕事をしようと会社を移り、アメリカの医療サイトを日本に導入する仕事に携わりました」
そこでもそれなりに充実はしていた。でも、働くほどに心に空虚感を覚えるようにもなっていく。「何か違う、これじゃない」。平さんのモヤモヤは大きく膨らんでいった。
ほかの職を経験したからやりたい仕事が見えた
NHK大河ドラマ「真田丸」での武田勝頼役が高く評価された俳優の平岳大さん。27歳というこの世界では遅めのデビューとなるまで、平さんは「自分が本当にやりたいことは何なのか」を模索する日々を過ごしていた。
「アメリカ留学を経て就いた仕事は、不動産アナリストにネットビジネス。どちらも面白くて充実していたけれど、どこか仮の姿で、何か違うなという思いが常にありました」
20代も後半、そろそろ一生を懸けられる仕事を決めなければと、焦る気持ちは高まりつつあった。そんな折、俳優の父・平幹二朗さんの舞台「近松心中物語」を観劇し、平さんは「これだ!」と感じ取る。
「両親が俳優なので、すんなりと俳優になるのは悔しいというか恥ずかしいという思いがあり、自らその道を封印してきました。でもほかの仕事を経験し、精神的にも経済的にも自立したうえで素直に考えてみると、やはり自分は俳優になりたいのだと思い至ったのです」
平さんは、勤めていた職場にその日のうちに辞表を出した。そして父に相談。10歳で両親が離婚し、父とは長く離れて暮らしていたから、親子というよりも大人の男同士、仕事人として冷静に話ができた。そうして幸運にも、両親が17年ぶりに共演する舞台の息子役としてデビューがかなう。
「あれよあれよという間に話が進み、気が付いたら制作発表の場にいました。演技の経験などまるでなく、そもそも人前で話すのも苦手。初めての舞台は何とかセリフを覚えて最後まで言えた、というレベルでした(笑)」
それからは少しずつ経験を積んでいき、発声を学び、日舞を習い、俳優として一から勉強していった。仕事はそれほど多くなかったが、気持ちは落ち着いていた。これこそ一生の仕事、と腹を決められるものだったから。
「デビューして7年目の2008年、NHK大河ドラマ『篤姫』に出演してからですね、仕事のオファーが増えたのは」
俳優の仕事は良くも悪くも、運や巡り合わせによって大きく左右されるもの。だからこそ焦らずブレず、与えられた役にその都度、真摯(しんし)に取り組んできた。そんな平さんは今「稽古を積み重ねて技術を磨き、平岳大にしかできない役を演じること」を目標にしている。
「父は80代ですが、いまだ現役で舞台を年間百数十公演もこなしている。負けられない。自分も40代、50代と仕事を着実に積み上げていき、一生を懸けられる仕事として、探し当てたこの俳優業を極めていきたいと思っています」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
普通の会社勤めではなくクリエーティブな仕事がしたいので、料理研究家でしょうか。この鶏肉にこのハーブを合わせると——などと考えるのは楽しそうですよね。
人生に影響を与えた本は何ですか?
映画なんですが、アメリカ留学時代に繰り返し見ていたのが竹中直人さん監督の『無能の人』。日本の片田舎にあるような、ノスタルジックな雰囲気に引かれました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
お風呂やシャワーの後に、必ず水を浴びます。気持ちがシャキッと引き締まり、疲れも吹き飛ぶんです。
Infomation
2016年の上半期は、スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」などの舞台作品に精力を注いだ平さん。下半期も、実力派俳優としての存在感あふれる作品や教養情報番組などが控えている。平さんの最新情報は、所属事務所のホームページや自身のTwitterでも発信されている。
シス・カンパニー
http://www.siscompany.com/
平岳大公式Twitterアカウント
@hira_takehiro