失敗や落ち込みは人生の大切なスパイス
大泉:今回撮られた映画「青天の霹靂(セイテンノヘキレキ)」の現場で、ひとりさんは堂々とされていて、初めてとは思えない監督ぶりでした。いい意味で初々しさのない人でした(笑)。
ひとり:大泉さんには主人公の売れないマジシャン、晴夫を演じていただきました。もっと感覚で芝居する人かと思いきや、とても綿密で理論的。いろいろ的確な提案もしてくださり、助かりました。
大泉:この映画は晴夫が40年前にタイムスリップして若き日の両親と出会い、人生を見つめ直す物語。原作もひとりさんですが、実体験をベースにされたのですか?
ひとり:いやいや、さすがにタイムスリップの経験はないでしょう(笑)。
大泉:タイムスリップの経験なしで書いた!? それは驚きました(笑)。
ひとり:ただ冒頭の冴(さ)えない晴夫は、24歳のころの僕とだぶらせていますけれど。
大泉:「自分はこんなもんじゃない。もっと上に行けるはず」と思っているけれど、うまくいかない。あのあたりの心情がオーバーラップしている、と。
ひとり:そう。実際24歳のころは、コンビを解消して1人になり、仕事もお金もなくてまさにどん底状態でしたから。特に芸人って売れているやつばかりを見上げては、自分を卑下してしまうところがあるんです。どんなに小さなライブハウスでも、ネタを披露できたのであれば、本当はもう夢の半分はかなっているのになかなか気づかない。そういう状況を幸せと思えるかどうかで人生もがらっと変わるのですが。
大泉:しかも、晴夫は自分の生きづらさを親のせいにしちゃうんですよね。
ひとり:うまくいかない時って人のせいにしてしまうもの。僕もステージでウケないと「客が悪い」と言ったりしていました。
大泉:僕は親に対して感謝の気持ちしかないし、大きな挫折といっても2浪したことくらい。しかもその受験の失敗がなければ今の自分はなかったと思っているので、晴夫のように自分の親や人生を恨むこともなかった。ただ、自分の実力のなさに落ち込んだり、自分が許せなくて惨めになることは多々あります。だから、晴夫のやり切れなさはすごく分かります。
ひとり:落ち込んだ時、どうするタイプですか?
大泉:前向きになる時は必ず訪れるので、わりといつまでもウジウジ(笑)。
ひとり:それでいいんですよね。人生も仕事も失敗して落ち込むからこそ面白いし、次こそ頑張ろうってなるわけだから。落ち込むことがなかったら、きっと誰の人生もつまらなくなると思う。
大泉:確かに。またダメだったと暗い気持ちになっても、いつの間にか「そのうち上手になればいいかな」と前向きさを取り戻して、また仕事して。その繰り返しがあるからこそ、人生って楽しいんだろうなあ。
自分で決めたことが正しい
ひとり:大泉さんも、お笑い好きだったんですよね。
大泉:テレビっ子でお笑いばかり観(み)ていました。
ひとり:僕の場合、ずっとビートたけしさんに憧れていました。中学生になって、たけしさんが「面白い」だけでなく「カッコいい」人に見えてきて、いつかあんな風になりたいな、と。
大泉:僕は、大好きなお笑いで挫折したら自分の存在価値がなくなりそうで怖かった。何よりお笑いを仕事にするなんてあり得なかった。中学時代の夢は某大手企業の社員。堅く生きようと思っていました(笑)。そこがひとりさんとは決定的に違います。
ひとり:ではなぜこの世界へ入ることに?
大泉:2浪したのに結局は志望大学へ入れず、腐った気持ちでいたのですが、このままではまずいと思い演劇研究会へ入ったんです。そこで今も所属する劇団TEAM NACSのメンバーと出会い、芝居が楽しくなってしまった。それで続けていたら、北海道のテレビのバラエティー番組「水曜どうでしょう」に出演することになって。そこからはコロコロ転がるように進み、今に至るという感じです。
ひとり:僕は高1の時にバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の中の素人コーナーにコンビで出演し、今の事務所に声をかけてもらってデビュー。その7年後にコンビを解散し、ピン芸人になりました。
大泉:1人になってもお笑いを続けたのは?
ひとり:やはり好きだったからでしょうね。最初は仕事がなくて大変でしたが。ツッコミがいない状態でネタを書くのもしんどくて、隣で「バカヤロー」と言ってくれる相方のいたありがたみが身に染みました。でも、何度もピンでステージに立って失敗を繰り返すうちに、ウケるポイントがつかめてきたし、結果的には1人になって良かった。僕はつい人のせいにしたがるところがあるので。大泉さんは順風満帆だったようですが、転機はいつ?
大泉:僕を人気者にしてくれた番組「水曜どうでしょう」がいったん終了した30歳のころですね。大きな仕事を失い、これから先どうしようと初めて人生を真剣に見つめました。「もっと引き出しを増やしたい」「自分が熱中できるものを持ちたい」という気持ちが強かったので、芝居を本格的にやろう、と。とは言え北海道では芝居の仕事が少なく、東京へ進出した次第です。
ひとり:そしてドラマに出て全国的な人気者に。
大泉:ありがたいことにずっと忙しくさせていただいています。これもすべて周りのお陰。次々に高いハードルを掲げてくれ、僕はとにかく全力で走るだけで良かった。
ひとり:僕はお笑いを選び、大泉さんは選ばなかった。でも結果的にその選択があったからこそ、お互い自分らしい道を歩めているのだと思います。
リーダーが語る、アシタを開く言葉
大泉 洋さん
「うまくいっちゃう」
僕は何でも「うまくいっちゃう」と思っているところがあるんです。ネガティブなことも考えるのですが、大局で人生を見た場合、何かあってもトータルでうまくいくって思っているんですよね、いつも。
劇団ひとりさん
「風が吹けば桶屋がもうかる」
一見、関係がないような場所や物事に影響することのたとえですが、人生はこれの繰り返しなのではと思っています。僕の場合、別の番組を観ていてたまたまザッピングしたら「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の画面が出て「お笑い甲子園」の出場者募集を知ったんです。もし、あの時、ザッピングしていなかったら、今の自分はないし、今の家族もいないわけですよね。人生にはそんなことが山ほどあるんだろうなって思っています。
キボウノアシタ読者プレゼント
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応募締め切り:
2014年6月19日(木)23:59
※当選者の方には、当選のお知らせと景品送付先の確認のため、入力いただいたメールアドレス宛に締切後1週間以内にご連絡させていただきます。当選の発表はこのご連絡をもってかえさせていただきます。
※ご入力いただいた個人情報は、当選者への連絡、景品(賞品)の抽選・発送の目的以外で使用することはありません。
※ご応募はお一人さま1回限りとなります。
大泉 洋
俳優。1973年北海道生まれ。大学在学中に現在も所属する演劇ユニット「TEAM NACS」結成。北海道テレビの深夜番組「水曜どうでしょう」でブレイクし、2005年のドラマ「救命病棟24時」で全国区の人気者に。主な出演映画に「探偵はBARにいる」シリーズ、「清須会議」など。「TWILIGHT ささらさや」「ぶどうのなみだ」が今秋公開。著書に「大泉エッセイ~僕が綴った16年」。
劇団ひとり
お笑いタレント。1977年千葉県生まれ。93年の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「お笑い甲子園」出場をきっかけにデビューし、2000年、「劇団ひとり」として活動開始。俳優として映画やドラマでも活躍。06年「陰日向に咲く」で小説家デビュー。その他、「そのノブは心の扉」「青天の霹靂」。初めて監督を務めた映画「青天の霹靂」が5月24日(土)から全国ロードショー。