a 開拓者の肖像|インターネット総合研究所 藤原洋氏vol.1|転職・求人情報サイトのマイナビ転職

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株式会社インターネット総合研究所 代表取締役所長 藤原 洋 開拓者の肖像 コンピュータに動画を載せた男 株式会社インターネット総合研究所 代表取締役所長 藤原 洋
イーサネットLAN、MPEG、デジタルハイビジョン。
我々の身近にあるこの3つの技術を並べる時、ひとりの男の名が浮かび上がる。
インターネット総合研究所・代表取締役所長、藤原洋氏。
日本のインターネットを黎明期から支えて続けてきた同社を率いる氏のもうひとつの顔、
それは数々の世界標準を手掛けた第一級のエンジニアだ。
今回は、幾度となく業界の常識を覆してきた「エンジニア藤原洋」の素顔に迫った。
  profile
  藤原 洋ふじわら ひろし
1954年福岡県生まれ。
京都大学 理学部(宇宙物理学専攻)卒業。
日本IBM、日立エンジニアリングを経て、1985年アスキー入社。
その後、グラフィック・コミュニケーションテクノロジー取締役(出向)、米国ベル通信研究所訪問研究員などの任に就く。
1996年にはインターネット総合研究所(IRI)を設立。
IRIは現在、キャリアやコンテンツホルダー向けのブロードバンドサービス等を展開している。
 
 
天体物理学からコンピューターエンジニアリングへの転身
子供の頃はいわゆる天文少年だったんです。きっかけは中学時代に読んだアインシュタインの『相対性理論』。自分も世の中を変える発見がしたいと思い、大学は天文分野に進みました。ところが、学ぶうちにコンピューターの魅力に気付いたのです。天文学はデータ解析など観測後の作業が非常に多い学問なんです。

当時は大学の大型コンピューターを使っていたのですが、このコンピューターの性能がそれこそ日進月歩で進歩している。どうやら新しいことは天文じゃなくコンピューターの世界で起こっているらしい。そこで方向転換し、コンピューターエンジニアを目指すことにしました。コンピューターについて初歩から学べそうな会社を探したところ、日本IBMを見つけ、運良く入社できました。


わずか3カ月で日本IBMを退社
期待に胸を膨らませて入社した日本IBM。だが、そこにあったのは考えていたコンピューターエンジニア職とはほど遠い現実だった。
1977年頃の日本IBMは今とは全く違っていて、セールス主体の会社だったのです。当時は、開発は米国でやるから日本法人は我々の作ったコンピューターを日本人に売りなさい、という感じでした。これは自分の職業ではない、そう感じて3カ月半の基礎講習を受けて辞めました。それから半年ぐらいフラフラ……、いわゆるプータローですね(笑)。

でも、焦りはなかった。エンジニアにとって大切なのは“やりたいことをやること”、“やりたいことがあること”。ですから、給料などの条件で自分の道を決めない方がいい。これは私の原点でもあります。ただ周りの人は心配しましたね。結果的に半年後に日立エンジニアリングに途中入社しました。
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