第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.14歌手 一青窈
自分をさらけ出したい
Heroes File Vol.14
掲載日:2009/11/20
哀愁を帯びた伸びのある歌声と、個性的な歌詞で、数々のヒット曲を世に送り出してきた、一青窈さん。レコード会社移籍をきっかけに、これまでの自分の殻を破る新歌謡(進化窈)3部作のリリースなど、新たな挑戦を始めた意気込みと、詞や音楽に込める思いを語ってもらった。
Profile
ひとと・よう 1976年東京都生まれ。台湾人の父と、日本人の母の間に生まれ、幼少期を台湾で過ごす。慶應義塾大学在学中から歌い始め、2002年「もらい泣き」でデビュー。「ハナミズキ」などヒット曲多数。新歌謡(進化窈)シングル3部作の第2弾「うんと幸せ」が11月4日にリリース。
自らの殻を破る新しい挑戦 3作連続のシングルリリース
今年8月の朝日新聞に「さようなら 一青 窈」というショッキングなタイトルの全面広告が掲載された。彼女の書いた散文詩をちりばめたユニークなそれは、これまでの自分から脱皮し、新たな気持ちで創作活動を行なっていくという、彼女なりの決意表明。そして、新しい歌謡曲としての「新歌謡」と、進化する一青窈の意味をかけたコンセプト「新歌謡(進化窈)3部作」のCDのリリースを予告した。
「さようなら、といっても今までの自分を否定するわけではなく、その上で新たな挑戦をしてもっと人の内面の深い所を揺さぶりたいという意志です。新歌謡の方針には、歌謡曲という自分が大好きだったジャンルを体現したい思いがありました」
台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、幼少期を台湾で過ごす。日本より少し遅れて入ってくる歌謡曲、中でも作詞家の阿久悠さんの曲が大好きで、ピンク・レディーの曲を姉とよく踊っていたという。
「今はネットなどで誰もが自由に発言できるけれど、逆に言葉を選んだり本音が言えなかったり、レールから外れることはよくない、という生きづらい風潮ですよね。でも昔の歌謡曲は退廃的だったり、いろんな感情や生き方が許されるような世界だった気がするんです。それに歌は大人も子どもも含めたすべての人のものでした。本来、歌はその時代を表わすもの。今、自分がこの時代に生きて何を言えるのか? 感情の清濁を含めた歌詞を書きたいと思ったんです」
新歌謡3部作のプロデューサーである小林武史さんによって作曲された第1弾シングル「ユア メディスン」が10月にすでにリリースされている。これはまさに新歌謡(進化窈)を象徴する、刺激的な歌詞とどこか懐かしいディスコサウンドの曲だ。女性ダンサー2人を従え、振りをつけてミニスカートで歌う彼女の姿に驚いた人も多いのではないだろうか。
みなが求める理想の鋳型に自分をはめ込んでしまった
第2弾「うんと幸せ」は、これぞ一青窈、という切ないバラード。これまでは自分の亡くなった両親に向けて作詞をしてきた彼女が、今後は生きている人に思いを届けたいとの新たな気持ちで臨んだ曲である。
もともと彼女が文章を書き始めたのは、台湾に行くことが多かった父親への手紙から。「小学2年生で父が亡くなった後も書き続け、行き場を失った手紙がたまっていきました。さらに高校の時に母親を失い、両親が生きている間に『ありがとう、さようなら』の言葉を伝えられなかった後悔が募り、詩に思いを託すようになったんです」
大学卒業後、約4年の下積み期間を経て「もらい泣き」でデビューすると、のびのある哀愁を帯びた声と高い歌唱力で人心をつかみ、いきなり大ヒット。その後「ハナミズキ」のヒットもあり、一青窈という歌い手の存在は確固たるものになる。しかし……。
「詞を作る時、みなが求める理想の一青窈の鋳型にはめ込んでしまうようになったというか、『祈り』や『静』など、求められる理想像に近づかなくては、というような気持ちになって。期待に応えられないと自分がだめに思え、自分自身を肯定できなくなってきたんです」
リアルな内面をさらけ出して作詞することで自信に
みなが求める「一青窈」の鋳型をプレッシャーに感じるようになった彼女が変化したきっかけ、それはある音楽フェスティバルへの参加だった。様々なアーティストが生き生きと活動する姿を見たこと。そしてフェスの中心的存在だったプロデューサーの小林武史さんと出会い、自分のリアルな内面をさらけ出し作詞することを引き出されていったそう。そこから等身大の彼女を歌った「&」という3枚目のアルバムが生まれ、今回の「新歌謡(進化窈)3部作」にもつながった。
「それまでも内面を歌っていたつもりですが、どこかきれいな言葉を選んでいたところがあって。今思うと『&』の頃もまだそうでした。例えば身近な人にしか見せないような気持ちを描くことに以前は躊躇(ちゅうちょ)していた。
でも、結局それが一番伝わるんですよね。恥ずかしくて本当は言いたくない思いを表現することで初めて伝わるものもあるし、それは受け取った方の中で様々な表情を持つようになる。またそれまでは、詞を作曲家に渡す時、言葉を選び数十回推敲(すいこう)して完成した状態で出していたんです。でも最近ではもうちょっと生の状態の言葉を見て、おもしろかったら使ってみようと。今回の3部作もそうですが、多少いびつでも自分がこれでいいと思ったものを世の中に出すことで、自分を肯定できる気持ちになりました」
幸せは、どんな状況の時にも誰の周囲にもあることに気づいて
新歌謡(進化窈)第2弾のバラード「うんと幸せ」の中で歌われているのは、「幸せ」とは特別なことではないということだ。
「例えば私は『なりたかった歌手になれて幸せだよね』とよく言われますし、実際歌えることは幸せ。でもそれと同じぐらい幸せなことは他にもある。幸せな気持ちは、たとえ両親が亡くなった時でさえ私の周りにあったはずです。モンブランを食べて幸せとか、人から見たら笑い飛ばされることでも、それを見つけること自体が幸せだと思う。誰でも落ち込むことはあるし、そんな時は身近な幸せを見落としがちですけど、この歌を聞くことで、自らがたくさん持つ幸せのかけらに気づいてくれたらうれしい」
この曲ができたきっかけは、知人が若くして命を絶ったことで自分の無力さを痛感し、自分に歌で何ができるかを考えたこと。彼女自身も、精神的に低迷していた時期で、悩み苦しんでいたという背景もあるそう。
「普段はつらくても、自分でいろいろ光を探して考えるんですが、逃げ道がない気持ちになることが年々増えてきたような気がします。でも私は、父の死後の母の悲しみを見てきたので、残された方を考えると自殺という選択はしてはいけないと思うんです。つらい時期は誰にでもある。私にできることは歌で悩める人の心に触れていくことですが、自分が当たり前だと思っていることが相手を傷つけているかもしれない不安もある。
でもそういうことを乗り越え、自分の痛みや弱さを丁寧に伝えることで、お互いが心を開いていけるんじゃないでしょうか。前向きでなくても、いろんな状態を肯定する音楽を作り、聞く人が、私はこのままでも大丈夫だと思ってもらえたらうれしい。だめな自分から逃げずに、その時々を肯定する私自身の思いを、今後は今生きている人たちに向けて伝えていきたいと思っています」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
学校の先生ですね。国語か図工の先生。私の場合、子どもと一緒の目線で楽しめるので、小学校がいいと思う。
人生に影響を与えた本は何ですか?
谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」と宮沢賢治さんの「やまなし」。前者はオノマトペのリズムが声に出して楽しい。後者は「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」という擬音など、自分が想像したこともないぴったりな表現に驚きました。これらの本で、自分が聞こえた音や感じたことを表現していいと知り、自分の詩や手紙を書きやすくなりました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
勝負「肩入れ」。毎回ライブの前は緊張をほぐすために、足を開いて立ち、肩を片方ずつぐいっと内側に入れます。これをやるとステージでの魂の入り具合が変わるので、たとえ短いスカートをはいていても、ステージの隅でやらせてもらっています(笑い)。
Infomation
新歌謡(進化窈)3部作の第2弾
「うんと幸せ」が2009年11月4日リリース
10月7日に発売された新歌謡(進化窈)3部作の第1弾「ユア メディスン~私があなたの薬になってあげる」に続く第2弾シングル「うんと幸せ」が、11月4日にリリース。収録曲は表題の「うんと幸せ」、「ウラ・ハラ」「name」の3曲。12月には3部作第3弾、そして来年始めにはアルバムもリリース予定だ。(詳しくはwww.hitotoyo.ne.jpをご参照ください。)
「うんと幸せ」
定価/初回生産限定版(ポエトリーリーディング付き) ¥1,200(税込)
通常版 ¥1,200(税込)
発売元/フォーライフミュージックエンタテイメント