第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.15俳優 藤原竜也
自分で決めたことを信じて
Heroes File Vol.15
掲載日:2009/12/4
1997年、蜷川幸雄演出の舞台「身毒丸」で鮮烈デビュー。以来、数々の舞台、映画に挑戦し、着実に実力をつけている俳優・藤原竜也さん。役づくりのために留学したロンドンでの生活、そして仕事にかける思いを話してもらった。
Profile
ふじわら・たつや 1982年埼玉県生まれ。97年蜷川幸雄演出「身毒丸」のロンドン公演で初舞台を踏む。以後、「ハムレット」「ヴェニスの商人」「ムサシ」など数多くの舞台に出演。映像分野でも活躍しており、映画『バトル・ロワイアル』『デスノート』が大ヒットを記録した。最新主演映画『カイジ 人生逆転ゲーム』も好調。来春には『パレード』など主演映画の公開が控えている。12月10日(木)から天王洲 銀河劇場で「ANJIN イングリッシュサムライ」に出演する予定。
ロンドン短期留学で自分の未熟さ実感
今年6月から2カ月間、藤原竜也さんは単身ロンドンにいた。12月に上演される日英合作舞台「ANJIN イングリッシュサムライ」のためだ。外国人で唯一旗本となった青い目のサムライ・三浦按針の半生を描くこの作品で、彼は按針と徳川家康の通訳として活躍する日本人宣教師ドメニコを演じる。
「僕のセリフの約7割が英語なんです。しかも演出家と、出演者の半数がイギリス人。本気でやるためには事前に英語をしっかり学んでおかなければならないと思い、ロンドンへ行かせてもらいました」
現地では26歳の現役俳優が英語の講師。1週目は実際の台本を読みながら発音やアクセントを直してもらった。「2週目からは台本なしでやりたいからセリフを頭に入れてきて」と言われ、丸暗記でたたき込んだ。「非常に攻撃的な教え方のお陰で、英語のセリフはすべてけいこ前に覚えました。それと単なる言い回しだけではなく、セリフの背景というか、その言葉の裏にある心情、意味まで考えてセリフを言わなければならないと、俳優でもある彼が教えてくれた。演技の面でもとても勉強になりました」
留学中、同世代のイギリスの俳優たちと知り合う機会に恵まれた。彼らは自身のことだけでなく、宗教や戦争に関してもしっかり意見を持ち、自分の言葉で語る。そんな姿を目の当たりにし、藤原さんはつくづく自分の未熟さを痛感したという。
「歌舞伎は観(み)たことある?という質問に、あるけどちょっと行きづらくてと答えたら、なぜ?と聞かれたんです。でも、その理由を僕はうまく説明できなかった。あの時は、自分の国の文化も語れないのに、よその国のことを学ぼうとしている自分に妙に腹が立ちました」
自分の立ち止まり方は間違っていないと思う
英語のレッスン以外は、芝居を観たり、パブへ行ったり、部屋で勉強して過ごしたり。
「パブでは、昼間からお酒を飲んでいる陽気なおじちゃん連中の仲間に入れてもらい、話し相手になってもらいました。ロンドンの街の雰囲気も大好き。どこへ行って何を見ても、誰と話しても刺激を受けている自分がいた。だから、本当に毎日がおもしろくてたまらなかったですね」
藤原さんは2007年にもロンドンへ留学している。その時は約4カ月の滞在で、語学学校にも通った。いずれにしても、彼のように第一線で活躍する俳優が数カ月も日本を離れるのはなかなか難しいこと。リスクを考え、反対する人だっていたはずだ。
「俳優仲間にも、お前、休みすぎと言われました(笑い)。でも、この10年、20年で日本の芸能も大きく変わっていき、世界へ飛び出す機会も増えてくる。そのための自己投資だと思うし、何より留学経験は、いつか何かしらの形で必ず自分に返ってくる時間だと思っています」
異国の地で学ぶからこそ得られるものがある。それをもっと経験したいし、大切にしたい。だから今後も留学は続けたい。それによって少々立ち止まることになり、他の人に後れをとっても構わないと考えている。「大切なのは自分で決めたことに従って生きていくこと」だからだ。
作品や人との出会いを通して役者へと育てられた
14歳の時、その才能を演出家、蜷川幸雄さんに見いだされ、舞台「身毒丸」で主役デビュー。その後も数々の難役に挑戦し、その度に高い評価を受けてきた。映画でも『バトル・ロワイアル』『デスノート』を始め、今年公開された『カイジ 人生逆転ゲーム』など次々にヒットを飛ばし、今や名実ともに若手実力派として知られる存在だ。
「実は17歳の頃に辞めたいと思ったことがあります。蜷川さんの元でけいこの日々だったのですが、とにかく厳しくて毎日泣かされていました。難しい言葉のセリフをしゃべらされて、難しい言葉でしかられて(笑い)。わけわかんないし、あまりにつらくて、舞台が終わったら地元へ帰ってやろうって。でも、気づいたらあっという間に10年。27歳になってしまいました」
もともと俳優になりたかったわけではない。池袋でスカウトされ、雑誌に出られるという特典に心引かれて「身毒丸」のオーディションを受けただけだった。それでも、途中でやめることなく続けてきたのはなぜだったのだろう。
「人や作品との出会いのお陰だと思う。深作欣二監督には『バトル・ロワイアル』で映画の現場の楽しさを教えてもらったし、20代になってからは野田秀樹さんと出会い、芝居ってこんなに楽しんでいいんだと知りました。いつの間にか舞台や映画の魅力に引き込まれてしまっていた」
作品や役には恵まれたが、決して俳優として甘やかされることはなかった。
「蜷川さんを始め、みんな強烈なまでに厳しく、スパルタ式で僕を育ててくれた。それと、頑(かたく)ななまでにストイックで、冷静沈着でありながらも時に攻撃的で、常に走り続けている俳優や監督が周りに多かった。そういう先輩たちの姿をずっと見てきたことが、僕の大きな力になっています」
自分で判断するのが一番難しい
仕事をしていて難しいなと思うのは、物事のジャッジの仕方だと語る。
「自分には向かないと思っていても高く評価されることもあれば、後悔することもあるし。実は『デスノート』は最初松山ケンイチ君の役、エルがやりたくてそう主張したんです。でも周囲にライトの方が合っていると説得され、いざやってみたら確かにみんなの言う通りでした(笑い)」
自分の判断が必ずしも正しいとは限らないだけに、毎回悩むところだ。「正しい方をどう選ぶかではなく、何か迷った時にちゃんとジャッジできる自分を持っていること、が大切なんでしょうね」
蜷川さんがよく「仕事を失うことほど簡単なことはない」と言うそうだ。一瞬を大事にしていかないと、一瞬で仕事を失うぞという戒めだ。だからこそ舞台も映画も、藤原さんはまるで一世一代の勝負をかけるように挑む。一瞬の芝居にこだわり、丁寧に役に没入する。その芝居への姿勢がそのまま彼の生き方につながって見える。
「藤原さんのように生きるには」と尋ねたら、「ちゃんと攻めていこう。自分の人生なんだから」と明快な答えが返ってきた。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
カズ(三浦知良)さんに憧れていて、サッカー選手になるのが夢でした。埼玉県出身なので浦和レッズのフォワード、ですね。
人生に影響を与えた本は何ですか?
吉川英治さんの「宮本武蔵」。今年、舞台「ムサシ」で武蔵を演じることになったので読んだのですが、武蔵の考え方や、自分自身の中で常にぶれない気持ちを持つための武者修行する姿に大いに影響を受けました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
箱根神社が好きなので、近くへ行けば参拝したりはしますが、それくらい。勝負のために何かすることはないですね。実は、10代の頃は本番直前にいろいろ縁起担ぎをしていたんです。でも、それでも1回トチったことがあり、それから一切何もしなくなりました。
Infomation
日英両国から屈指の舞台俳優が揃った国際共同プロジェクト
舞台「ANJIN イングリッシュサムライ」
江戸時代、鎖国になる直前の日本に漂着し、外国人でありながら旗本となった男がいた。ウィリアム・アダムス、日本名を三浦按針(みうらあんじん)と名乗った。彼の半生を、イギリスで絶大な評価を得ているグレゴリー・ドーランの演出で舞台化。日本を代表する2人の俳優、市村正親と藤原竜也が出演する一方、出演陣の半数がイギリス人という舞台上では、日本語と英語が飛び交い、字幕も使用するなど数々の斬新な試みが行われる。「イギリスの演出家が日本の歴史をどのように描くのかが見どころ。ぜひ観に来てください」(藤原竜也さん)。
「ANJIN イングリッシュサムライ」
キャスト/市村正親、オーウェン・ティール、藤原竜也 ほか
脚本/マイク・ポウルトン
脚本共同執筆/河合祥一郎
演出/グレゴリー・ドーラン
音楽/藤原道山
東京公演/2009年12月10日(木)~2010年1月18日(月)
会場/天王洲 銀河劇場
問い合わせ/
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