第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.68元プロテニスプレーヤー 杉山愛
心を開き状況ごと楽しむ
Heroes File Vol.68
掲載日:2012/2/3
4歳でテニスに出会い、17年もの長きにわたり世界のトップクラスで戦い続け現在はコメンテーターなどとして活躍する、元プロテニスプレーヤーの杉山愛さん。20代半ばの大きなスランプ後も彼女をさらに成長させ続けたモチベーション、新たな道にチャレンジしていくエネルギーはどこからくるのだろうか。
Profile
すぎやま・あい 1975年神奈川県生まれ。17歳でプロデビュー。ダブルスで4度のグランドスラム優勝を果たし、世界ランク1位に輝く。グランドスラム連続出場62回のギネス記録を樹立し、34歳で引退。現在はテレビ情報番組のコメンテーターや後進の指導者として活動中。2012年1月に著書『勝負をこえた生き方』を刊行した。
世界の第一線で戦った経験から培った力
17年にわたり世界のトップで活躍し続けたプロテニス選手、杉山愛さんが34歳で引退し約2年が過ぎた。現在は後進の育成やコメンテーターとしてメディアに出演するなど様々な分野の仕事に挑戦中だ。先月にはそんな彼女の執筆した本も出版された。
「この本では世界のプレーヤーの思考法、あるいは私自身がテニスを通して与えられた試練の中で培った、ピンチの乗り越え方など様々なことを語っています。テニスに興味がなくても共感して頂ける内容だと思うし、社会人の方が仕事で行き詰まった時のヒントになればうれしいです」
20代半ばで、世界ランク1位と大スランプが一度に
杉山さんがテニスに出会ったのはわずか4歳の時だ。体を動かすことが大好きでフィギュアスケートやバレエなど様々なスポーツを経験するなかテニスが大好きになり、7歳でプロになることを決意する。
「といってもこれは男の子が野球選手になりたいと思うのと同じです(笑)。テニスは球を打った時の感触が好きで、壁打ちも大好きでした。放課後にテニススクールへ通い、かなり厳しい練習をしましたが、同年代の子が多く、楽しくてたまらなかったです」
13歳でジュニア日本一、15歳で日本人初の世界ジュニアのトップになるが、杉山さんの意識は最初から広い国外に向いていた。なぜならテニスでプロになるというのは、一年のほとんどを海外ツアーで戦うことに直結するからだ。そして17歳の時、「世界のトップ10で活躍する」という目標を掲げ、プロになる。
「ランクが上がらないとツアー条件も悪いし賞金も少ないので、ランクが下の世界では皆が『少しでも上へ!』と1ポイントに目の色を変えている厳しいものでした。また、最初の2年ぐらいは自分の居場所が見つけられずつらかった。1年のうち8カ月ぐらいは海外を転々としてのホテル暮らしで、知っている選手もいないし、ホテルと会場の行き来だけ。これではいけないと自分を認知してもらえるように、試合を頑張るだけでなく心を開き、積極的に人と親しみ、訪れた国の文化にも触れてツアー自体を楽しむようにしたんです」
その効果もあり、若さの勢いと頑張りでランクをどんどん上げていった杉山さんは、22歳で世界のトップ20位入りし、24歳でダブルスの世界ランキング第1位に輝く。しかし25歳で大スランプに。
「何をしてもうまくいかず、どう練習していいかさえも分からず、ランクもどんどん落ちて。先が見えず大好きなテニスをやめたくなってしまいました」
テニスをツールに自分を磨いて成長すると決めた
25歳で人生最大のピンチを迎えた杉山愛さん。先が全く見えず母親にやめたいと相談すると「そんなことでは、これから先何をやってもうまくいかない」と怒られる。
「確かに不完全燃焼のままでした。あの時、母に『私がこの先どうすればいいか見える?』と聞いたら『見える』と。そこで私のテニスをよく見てきた母にコーチをお願いしました。後で聞くと母に見えたのは、私が本来のテニスに戻った姿だったと。躍動感のあるテニスが私の特徴だったのにそれを失っていたんです」
コーチとしては素人の母親と二人で基本に戻り、ボールの打ち方からやり直す。同時に体のメカニズムを学んだり、トレーニング方法も勉強したりした。
「振り返ると25歳は、人としても選手としても立ち止まった時期でした。それまでの私は子どもで、この時も自分からお願いしたのに甘えが出て母に素直に従えなかった。そういった精神面も含め大人にならなければ、ここより先の自分はないと、テニスをツールに自分を磨くことを決めました」
そう決めると、何か問題が起こった時、以前は「悲しい」と感情的に反応したことも、「なぜこれが起きたのか、どうすればこれを活(い)かせるのか」と考えられるようになった。
「仕事ならいい時も悪い時もあって当然。悪い時をどう過ごし、ベストをどう尽くすかが大切だと分かったんです。体が動かないならウオームアップやメンテナンスの方法を考え、気持ちが乗らないなら音楽や呼吸法で自分を鼓舞し、あの手この手で自分の引き出しを増やすことが肝心だと」
頑張り切れた体験が新しい自分の自信になる
そんな思いでまたテニスに向き合い、2003年にはシングルスとダブルス共にツアー優勝。28歳で再びダブルスのランク1位になり、シングルスもトップ10に入る。その後、34歳まで世界のトップで戦うが、肉体的にも精神的にも燃え尽きて引退。でも、一度も引退を後悔していないという。
「25歳のピンチがなかったら、もっと早く引退し、内面的にも成長していなかったと思います。競技人生は過酷でしたが、テニスは私にとって天職でした。引退後はいろいろな分野の仕事に挑戦させて頂いていますが、天職とはそうは見つからないものだと思うので、焦らず10年ぐらいかけて、もう一度見つけられたらうれしい」
「何事も興味があるなら踏み出すことが大切だと思っています。目標は人それぞれ。世界一でも日本一でも、クラス一でもいい。各自の目標に向かって頑張り、頑張り切れた時の達成感が、新たなことに挑戦する自信になると思います」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
プロゴルファーですね。ゴルフも大好きなので。私は性格的に個人でやるスポーツが向いているみたいです。
人生に影響を与えた本は何ですか?
塩谷信男さんの「100歳だからこそ、伝えたいこと―健康と生き方の秘訣を語る」。私が25歳でスランプに陥っていた頃、いろいろな本を読むなかで出会いました。この中に書かれている、塩谷さんが編み出した呼吸法に出会えたことで、私は選手として大きくなれました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
勝負深呼吸ですね。上記の塩谷さんの呼吸法で、丹田にエネルギーを入れることを試合の前に常にしていました。もともと私はあがり症なので、緊張し、力を出し切れないことが多かったのですが、この呼吸法をすることで「ま、いいや」と開き直れるようになりましたね。
Infomation
杉山愛さんの著書
「勝負をこえた生き方」が発売中!
WOWOWオンラインに連載した杉山愛さんのオリジナルコラムを再編し、書籍化。世界を舞台に戦ってきた経験をもとに、勝負を分けたポイント分析などを独自の視点で執筆。「テニスの試合の楽しみ方や、世界のトップレベルの選手の考え方、試練から得たピンチの乗り越え方など、いろいろ語っています。私自身の仕事を通じて書いた内容なので、社会人の方にはきっと共感してもらえると思います。テニスに興味のない方もぜひ手にとってみてください」(杉山愛さん)
定価/1,365円(税込)
発行元/トランスワールドジャパン