第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.94バイオリニスト 樫本大進
憧れの楽団で新たな挑戦
Heroes File Vol.94
掲載日:2013/3/8
クラシック音楽の演奏家というと身近な仕事と思えない人もいるかもしれない。だが、オーケストラという組織での活動は意外にも会社勤めに通じることが多い。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとソロ活動を両立させている“スーパーバイオリニスト”樫本大進さんに、その日常を伺った。
Profile
かしもと・だいしん 1979年ロンドン生まれ。90年バッハ・ジュニア音楽コンクールで1位、96年フリッツ・クライスラーとロン=ティボーの両国際音楽コンクールで1位に。愛器はアンドレア・グァルネリ(1674年製)。CD「ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集」の第2弾を2013年5月にリリース予定、6月に日本公演を予定。
ベルリン・フィル入団は飽くなき向上心から
2010年12月、樫本さんは世界屈指のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに就任した。曲の主旋律を奏でる第1バイオリンの首席奏者で、楽団をうまくリードし、音や響きをまとめるキャプテン的役割を担う。
「好きな音楽を組織の一員としてやっていく。疑問や不安はありましたが、やってみないと分からない」と飛び込んだ。
3歳でバイオリンを始め、国際コンクールで優勝を重ね、ソロ奏者として世界で活躍してきた。オリジナリティーを求められるソリストが、異なる資質を必要とされる楽団の要職に就くのはまれなケースだ。
しかし例えば、交響曲を演奏する機会はソリストにはほとんどない。幼い頃からの憧れの楽団でオーケストラ曲を学べるチャンス、と踏み切った。
ブレない軸と自信でハードな壁を乗り越えろ
前年にコンサートマスターの内定を受け、それからの試用期間1年あまりは想像以上にハードな毎日だった。「それまでの人生で最高に練習した」と言う。
楽団の演奏会の日程やプログラムはあらかじめ決まっている。リハーサルの前に片っ端から曲をさらい、総譜を読み込み、曲の仕上がりをイメージしてリハーサル、そして本番に臨む。だが、どれも初めての曲で、1曲40~50分の大作が多い。まさに寝る時間を惜しんでの奮闘となった。
「初年度の僕の登板は確か68回。曲の長さなどにもよりますが、一つの演奏会で2、3曲は演奏しますから、全部で何曲になりますかね(笑)」。平然と語るが、相当数の曲を短期間で仕上げていくことになる。
しかも、稽古場には世界の腕っこきが100人以上集う。メンバーの音に対するこだわりは半端ではなく、口々に意見を言う。指揮者と考え方が合わないこともしばしば起こる。当初まだ30歳の樫本さんはさすがに戸惑った。
しかし、古参の第1バイオリン奏者が諭してくれた。「年齢や国籍などは関係ない。演奏がいいか悪いか、それだけだ。私は君を認めている」。不安や迷いが吹き飛んだ。「そもそも、僕の音が気に入られていないならコンサートマスターのオーディションに受かってない」と思えるようになった。
「自分のイメージした音、思い描く音楽に近づけるにはどうすべきかを考え、発言しています。指揮者という責任者に対し、場合によってはオーケストラの側に立ち、コンサートマスターの判断が正しいと、いかに思わせられるか。それができてこそ皆がついてくる」
自分なりのコミュニケーションづくりも模索し始めた。
楽団には笑顔で行く。常に明るい雰囲気に
団員とのいい関係や楽団の明るいムードを保つため、樫本さんが常に心がけているのは「笑顔」。所属するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、概して堅くてきまじめと言われる国のエリート楽団だ。
「立ち上がってチューニングする時なんか特に笑顔」と話す顔にもふんわりと笑みが。本番前の緊張感をほぐし、「最高の演奏をして、皆が弾いて良かったと思える空気を作るのも、コンサートマスターの仕事だと思うのです」。
リハーサルから、本番さながらのテンションで臨む。例えば定期演奏会の練習は本番前の2日間だが、両日とも午前と夕方2時間半ずつしか時間がない。「サラリーマンの方が聞いたら短時間でいいなあって思うかもしれませんが、限られた時間で仕上げなければいけないので、もうクッタクタになります」。超人的な集中力や求心力などで、理想の音楽を追求しているのだ。
楽団とソロとの両立で積極的に新境地を開拓
実は、忘れられないステージ体験がある。コンサートマスターに内定して程なくブラームスの交響曲を演奏した時のこと。「演奏が始まるや、楽団の後方から大音量の波みたいなものが迫ってきてビックリしました」。これまで客席で聴いたどのブラームスとも違う音で、ステージ上だから味わえる「音の魂」のようなコアなものを感じた。「ベルリン・フィルのトラッドなアイデンティティーを、今の世代が受け継いでいるのだと実感しました」
一期一会の体験、大切にしなければと心に刻んだ。早いもので、コンサートマスターに就任してから2年が過ぎた。ソロ活動とのバランスも良好で、ベートーベンのソナタの全曲録音も順調に進行中。リリースの日も近い。「オーケストラ演奏が続くとそろそろソロがしたいと思い、2週間ほどソロ活動をするとまた楽団で演奏したいと思う。両方あってちょうどいい(笑)」
現在楽団の第1コンサートマスターは樫本さんを含め3人いるが、楽団とソロの両立も仲間の理解があってこそ。「皆、仲が良く、助け合っています」。時間が合えば食事に行ったり、ボウリングをしたりした。
バイオリンを始めて30年。一度だけ本気でやめようと思ったことがあった。
「もう理由は忘れましたが、15~16歳の頃、二度とやりたくないと思って3日間全く弾かなかった。でもやめられなかったのは、やっぱりバイオリンが好きだったからでしょうね。オーケストラは、楽しいと思える限り続けたい。聴衆に歓(よろこ)びを感じてもらえるような、ベルリン・フィルのいい音を作っていきたいです」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
野球選手かな。子どもの頃は巨人軍が好きで、バイオリニストになるより、巨人の4番打者になる方が簡単と思っていました。いやあ、子どもってコワイ(笑)!
人生に影響を与えた本は何ですか?
例えばバイオリニストのギドン・クレーメルさんとか、やはり音楽家の人生についての本や音楽論の本ですね。自分の将来を考えながら読みました。でも世界の名作、ドストエフスキーの「罪と罰」なんかも感動しました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
ヘアムース! 髪がバラバラして演奏中に目に入ったりするのが嫌なのと、気合を入れるためにムースでビシッと決めてステージに臨みます。はい、「勝負ムース」です!
Infomation
CDリリース予定
「ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集(第2集)第9番&第10番」を2013年5月に発売予定。第1集(第6番~第8番)は発売中。
http://www.emij.jp/kashimoto/
来日公演予定
ビオラの巨匠ユーリ・バシュメットとモスクワ・ソロイスツ合奏団との共演。2013年6月5日(水)午後7時開演の東京オペラシティ コンサートホールほか、6日(木)静岡、7日(金)熊谷、8日(土)神戸にて公演予定。
http://www.japanarts.co.jp/