第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.121お笑い芸人 いとうあさこ
こうと決めたら突っ走る
Heroes File Vol.121
掲載日:2014/9/18
レオタード姿でリボンを振り回し、「浅倉南、39歳。なんかイライラする!」というネタで40代直前にブレーク。今やお茶の間には欠かせない存在のお笑い芸人、いとうあさこさん。アイドルになりたかったのに、気づけば「お笑い」の世界にどっぷり。この先どうなるか分からない。でも、できれば死ぬ瞬間まで芸人でありたいと思っているそうだ。
Profile
いとうあさこ 1970年東京都生まれ。お笑いコンビを2003年に解散し、ピン芸人に。2014年現在、テレビ番組「メレンゲの気持ち」(日本テレビ系)などにレギュラー出演中。著書に「居酒屋あさこ」などがある。所属劇団「山田ジャパン」の公演「焼けクソの二度焼き~もういちど、引く程の高温で焼いてみよう~」に14年10月9日(木)から出演予定。
19歳の家出が次の人生のスタート
この人の芸は明るい。どんな自虐ネタを出されても、楽しく陽気な気持ちにしてくれる。
今から5年前、水色のレオタード姿で「浅倉南、39歳」というネタを繰り出してブレークし、一躍人気者に。最近はバラエティ番組への出演も多く、忙しい日々を送っている。
小中高と名門女子校に在籍。当時からアイドルやコメディ女優に憧れ、教室ではみんなを笑わせたくて物まねを披露したりしていた。でも、将来お笑い芸人を目指すことになるとは想像もしていなかった。
転機は19歳の時の家出だ。「芸能界入りのためではなく、歌手の尾崎豊さんの歌に背中を押され、自分の意思で自由に生きたいと、勢いで飛び出してしまったんです」
アパートを探し、アルバイト雑誌で見つけた配膳人紹介所に登録してホテルに派遣され働き始める。そこで知り合った男性と恋に落ち同棲(どうせい)するも、男性は仕事を辞めてしまう。
「彼の借金返済もあって毎日16時間ぐらい休みなく働きました。これがよくテレビなどで話している貢ぎ生活です(笑)。20代で付き合った人はみんななぜか働かなくなった。でも、私は好きな人と暮らせることが幸せだったので苦ではなかったですね」
ミュージカルからお笑いの道へ
23歳になり、金銭的にも余裕が出てきた頃、「そういえば芸能界に入りたかった」という夢を思い出し、いとうさんは週3回、実技を多く学べる、専門学校のミュージカル学科へ通い始めた。「私には絶対、芸能界なんて無理と思っていたけれど、でも心のどこかで憧れを捨て切れなくて」
いざ通ってみると、先生たちが実にパワフル。その熱意に刺激され、いつしかミュージカルの魅力にハマり、オーディションをいくつも受けるようになっていった。
そんな中、また転機となる出来事が訪れる。あるミュージカルに出演した際、一つのシーンをアドリブで任されたのだ。
「それが結構ウケて、会場から笑い声が聞こえてきた瞬間、人に笑ってもらうってうれしいことだなと思ったんです。そんなことがいろいろと重なり、気づいたら、学校の女友達とコンビを結成してコントを始めていました」
猪突猛進(ちょとつもうしん)。やりたいと思ったらすぐ行動に移す。そこから、2人でネタを作ってお笑いライブに出演する日々がスタートした。しかし、ライブでウケてもテレビのオーディションには全く受からない。次第に焦りが出てきて、2人の間にも衝突が増え、結局6年でコンビは解散する。次はどうするか。いとうさんは考え、ピン芸人でやっていくことにした。
30代は低空飛行でいいと思っていた
33歳からピン芸人として活動を始めたいとうさん。コンスタントにお笑いライブに出ていたものの、それだけでは食べていけなかった。
「当時、牛丼屋で深夜のアルバイトをしていたのですが、このままずっと『社員にならないか』と言われながら、ネタを書いてライブに出て死んでいくのかなあと思っていました(笑)。一緒に暮らす男性もいたので、生活にそれほど大きな不満はなかったんです」
ただ、お笑いをやめようとはみじんも思わなかった。ライブで先輩たちの芸に触れ、「テレビに出ていなくても面白い人はたくさんいる、すごい世界だ」とほれ込んでいたのと、いとうさん自身ネタを考えるのが楽しかったからだ。
「ミニFMや、ケーブルテレビにノーギャラでいいからと営業し、番組を持たせてもらったりもしました。有名人になってやる、みたいな大きな野望はなかったのですが、私の作ったネタやしゃべりで人が笑ってくれることがとにかくうれしかったので、そのためだったらどんな努力も平気だったんです」
その後、ピン芸人のお笑いコンクール「R-1ぐらんぷり」で決勝進出を果たし、38歳の時「浅倉南」のネタで注目を浴びる。気づけばお笑いを始めて12年が経っていた。
「浅倉南のネタでテレビ番組のオーディションには受からなかったのですが、あるイベントで披露したらめちゃくちゃウケて。ちょうどアラフォーという言葉がはやり始めた時期で、40代間近の私にはラッキーでした」
死ぬ瞬間まで芸人でありたい
2014年初め、ある番組の企画でパンティとニップレスだけの姿に人体模型のペインティングを施し、イギリスの街中を走った。「女の人の裸は面白くないと思っていたのですが、そうでもなかった。私、ちゃんとスタイルが悪くて、これなら体を張った企画もイケるかもと」
筋金入りの芸人魂。お笑いのためなら何でもやる。でも、それが許される世界だからこそ離れられないとも。
「痛い恋愛も寂しい独身生活もみんなネタにして笑ってもらえる。それが楽しい。今は死ぬ間際まで芸人でありたいと思う。自分をネタに一生お笑いで生きていきたいですね」
20代から紆余曲折(うよきょくせつ)の人生。でもそれがあったから、今たくましい44歳の自分がいる。
「思えば、特に若さと経験値のあった30代が面白かった。経験のお陰で40歳過ぎには度胸が付き、自分で答えを出せるようになる。だから若い人にはいろいろなことを経験してほしい。実際、今の私は怖いものなし。唯一恐れているのは孤独死くらいかな(笑)」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
たぶん、ふつうのお母さんになっていたと思います。いや、母親のような母かな。とてもお酒が好きで、いつもロックグラスで日本酒を飲みながら相撲を観ていて、それが昔は嫌だったのですが、気づけば今は全く同じことをしていますからね(笑)。
人生に影響を与えた本は何ですか?
沢木耕太郎さんの紀行小説「深夜特急」シリーズ。インドからイギリスまでバスで旅をする物語です。海外の人々の生き方や人柄、仕事などいろんなものを見た気がしました。文庫の3巻を読み出したあたりで、お笑いコンビの猿岩石がテレビ番組「進め!電波少年」の企画で同じルートのヒッチハイクの旅に出たのも覚えています。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
音楽を聴く。2010年にピン芸人コンクールの「R-1ぐらんぷり」に挑戦した時のこと。前年、1回戦で頭が真っ白になって落ちたので、すごく怖かった。でも山手線で移動中、松任谷由美さんの「Happy Birthday to You 〜ヴィーナスの誕生」を聴いていたら急に「前へ前へ進むのよ」という歌詞がストンと入ってきて「あ、イケるかも」って思ったんです。実際、その年は決勝進出まで行けました。曲の歌詞がそんな風にふとした瞬間にすっと入ってきて、気持ちが前向きになることが多いんです。
Infomation
いとうあさこ所属劇団「山田ジャパン」公演
日本演出者協会主催「若手演出家コンクール2007」優秀賞受賞メンバーを中心に、「ゲーセン下ル」で旗揚げした劇団「山田ジャパン」。いとうあさこさんも所属するこの劇団の次回公演が14年10月に予定されている(※チケットは完売)。
「焼けクソの二度焼き~もういちど、引く程の高温で焼いてみよう~」
日程:10月9日(木)~13日(月・祝)
会場:新宿ゴールデン街劇場
作・演出:山田能龍
出演:いとうあさこ、山田能龍、ただのあさのぶ、羽鳥由記、松本渉、横内亜弓、若村勇介、大海エリカ
※チケットは完売。
http://www.yamadajapan.com