第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.125宇宙飛行士 山崎直子
幼い頃の憧れがスタート
Heroes File Vol.125
掲載日:2014/11/10
「宇宙へ行ってみたい」。幼い頃、漠然と抱いた宇宙への憧れ。そのチャンスをつかんだのは29歳の時だ。だが、実際に宇宙へ飛び立つことができたのはそれから11年後のこと。さまざまな困難に直面しながらも決して夢の実現を諦めなかった山崎直子さん。彼女を支えたのは周りの協力と「何とかなるさ」の精神だった。
Profile
やまざき・なおこ 1970年千葉県生まれ。東京大学大学院修了後、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)勤務。2010年にスペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙へ。現在、内閣府宇宙政策委員会委員、立命館大学、女子美術大学客員教授。14年11月25日(火)に翻訳絵本『星のこども カール・セーガン博士と宇宙のふしぎ』を出版予定。
幼い頃から思いをはせた宇宙
「宇宙船スペースシャトルは、打ち上がった8分30秒後に地球から400キロ上空の宇宙軌道に到達し、エンジンが止まるんです。そこでシートベルトを外すと無重力なのでふわっと体が浮く。その瞬間なぜかすごく懐かしい感じがしたのを今でも鮮明に覚えています。ああ、私たちも宇宙のかけらなんだなって。何とも言えない感慨がありましたね」
2010年、日本人女性で2人目の宇宙飛行士としてスペースシャトル・ディスカバリー号で宇宙へ飛び立ち、ミッションを成し遂げた山崎さん。そのたおやかな笑顔で語られる宇宙の話は、とても身近なものに感じられる。
物心がついた頃からよく星空を眺めていたという。アニメの「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」も大好きで、漠然と宇宙に憧れを抱いていた。そんな思いに現実味が増したのが中学3年の時だった。
「スペースシャトルが、打ち上がった直後に爆発したのをテレビで見ました。大変な事故が起きたとショックでしたが、それと共にリアルタイムに宇宙へ行く人たちがいるのを目の当たりにし、私も宇宙へ行くことが可能なのかも知れないと思うようになりました」
チャンスをつかんでも宇宙へ行くまで11年
高校卒業後、東京大学の航空学科へ進学。同大学院在学中には米国へ留学し、ロボット工学を学んだ。その間に宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)の宇宙飛行士試験を受けるも、書類審査で不合格。
「ただ、応募自体にロマンを感じ、心が弾んだのでいつかまた受けようと思いました」
大学院修了後、宇宙開発事業団にエンジニアとして就職。宇宙の実験施設の開発に携わり、3年目に再び宇宙飛行士の試験を受けた。今度は書類選考を無事通過。2次、3次試験を経て、見事、宇宙飛行士候補者として認定された。応募者864人。選ばれたのは古川聡さん、星出彰彦さん、そして山崎さんの3人である。
「どうして自分が合格できたのかは分かりません。ただ、試験はどれも楽しかった。見知らぬ人たちと閉鎖環境で7日間過ごすという、一見過酷な試験も私には貴重な経験に思えました。試験そのものをそんな風に楽しめたのが良かったのかも知れません」
ところが、喜びもつかの間、選ばれた他の2人は訓練に入ったものの、予算などの都合で山崎さんは待機となる。「さすがに焦りました。最年少だから仕方ないと思いつつも、悔しさはありましたね」
その後も、公私含めて思いがけない出来事が生じ、山崎さんが宇宙へ行けたのは11年後のことだった。
自分の選択を信じて生きる
宇宙飛行士候補者に認定され、本格的な訓練に入った山崎さん。サバイバル演習などハードなものも多かったが、必要なスキルを身に付ける訓練そのものは楽しく苦ではなかった。だが、当初は「いつになったら宇宙へ行けるのか」という不安が常にあったという。
「特に訓練開始から4年目。スペースシャトルのコロンビア号が事故を起こして仲間7人が亡くなったばかりか、スペースシャトル計画と国際宇宙ステーション(ISS)の建設予定が白紙になり、次にいつ飛べるか分からないという事態になってしまったんです」
その半年前に長女を出産し、復帰直後で張り切っていただけにショックは大きかった。しかも試練は更に続く。出産後は日本を拠点に訓練を続けようと思っていたが、急きょ単身でロシアへ行くことになったり、スペースシャトル搭乗資格を得るために米国で長期訓練を受けることになったりするなど、家庭や子育てとの両立を困難にする現実が、次々と山崎さんを襲った。
でもある先輩から「思い通りにならないことはあるけれど、目の前の出来事は誰のせいでもない、すべて自分のこととして受け止めなさい。どうすればいいか主体的に考えられるから」とアドバイスを受け、気持ちを切り替えた。
まずは現実を受け入れ、やれるところまで頑張ろう。それで宇宙飛行士の道が絶たれても仕方ないと腹をくくった。そうしたら気持ちが一気に楽になったという。
「継続は力なりと真っすぐにきたけれど、その一方で問題があれば臨機応変に対応する柔軟さも必要。どちらが正しいと決められないのが人生。だったらいざという時は何とかなるさと覚悟して直感で進むしかない。どっちに転がってもそれが正解なんだと信じて」
今度は宇宙で寺子屋を開きたい
そうやってさまざまな試練を乗り越え、山崎さんは39歳でようやく夢を実現する。
「スペースシャトルでの私のミッションは、主に運用技術者として実験資材や補給物資をISSに取りつけることでした。任務は緊張しつつも楽しかったし、宇宙の情景も地球の輝きも目に焼きついています」
無事に帰還してしばらくした後、宇宙航空研究開発機構を退職。現在は内閣府宇宙政策委員会の委員をはじめ、大学の客員教授や宇宙についての講演、執筆活動など多方面で活躍している。
「多くの力を借りて宇宙へ行かせてもらったので、その恩返しは何でもやりたい。そしてもう一度宇宙へ行けたら今度は宇宙で寺子屋を開きたい」。まさに夢は無限大に広がる。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
宇宙開発のエンジニアとして宇宙航空研究開発機構(JAXA)で働いていたと思います。
人生に影響を与えた本は何ですか?
アメリカの天文学者でありSF作家でもあった、カール・セーガンさんの「コスモス」という本です。中学生の頃に読んで、宇宙への興味がさらに広がったのを覚えています。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
音楽。スペースシャトルでもサザンオールスターズの「希望の轍」など元気になる曲を聴いていました。宇宙での朝のモーニングコールは、「ハトと少年」(映画「天空の城ラピュタ」より)や松田聖子さんの「瑠璃色の地球」でした。そのほかチョコレートも好きで、自分に活を入れたい時のために持ち歩いています。
Infomation
山崎直子さん初の翻訳絵本が2014年11月25日に発売予定!
「星のこども カール・セーガン博士と宇宙のふしぎ」
これまでに「なおこ、宇宙飛行士になる」「瑠璃色の星」など数々の著書を出してきた山崎さんが、この秋、初めての翻訳絵本を刊行する。宇宙や生命の不思議に魅せられた少年が、どのようにして世界で最も尊敬される科学者の一人になったのか。宇宙探査の礎を築いたカール・セーガン博士の足跡をたどる伝記絵本。大人でも十分に楽しめる一冊だ。
作:ステファニー・ロス・シソン
訳:山崎直子
発行元:小峰書店
定価:1620円(税込み)