第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.128アートディレクター/アーティスト 増田セバスチャン
人生はオリジナルでいい
Heroes File Vol.128
掲載日:2015/1/22
今、“原宿Kawaii文化”が日本のポップカルチャーとして世界で注目されている。その火付け役であり、歌手・きゃりーぱみゅぱみゅさんのライブの演出・美術を手掛けるアートディレクターとしても知られる増田セバスチャンさん。華々しく活躍を続けているが、実は20代のころは挫折の連続。引きこもりの時期もあった。そこを抜け出せたのは1冊の本のお陰だったと言う。
Profile
ますだ・せばすちゃん 1970年千葉県生まれ。演劇や現代美術の世界で活動後、95年に原宿でショップ「6%DOKIDOKI」をオープン。2011年から歌手・きゃりーぱみゅぱみゅの舞台演出などを手掛け、世界的に注目される。14年には初の個展をニューヨーク、マイアミで開催し、初監督映画『くるみ割り人形』も公開された。
寺山修司の本に出会い引きこもりから脱出
2014年末、東京・原宿に新名所が誕生した。観光案内所が併設された施設「もしもしにっぽん『MOSHI MOSHI BOX』」だ。シンボルとなるモニュメント「世界時計」はポップでカラフル。制作したのは増田さんである。
「原宿Kawaii文化」の第一人者で、歌手・きゃりーぱみゅぱみゅさんの音楽ビデオや舞台美術を始め、さまざまな分野で独創的な世界観を作り出し、海外でも評価が高い。昨年は初の個展をニューヨークなどで開催し、映画監督にも初挑戦した。まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍だが、「注目され始めたのはここ数年のこと。遅咲きです」と笑う。
そんな増田さんだが、高校時代は学校になじめず、不登校の日々だったと言う。「唯一の居場所はよく遊びに行く原宿でした」。そして人生を心機一転したくて大阪の専門学校へ進学。でも今度は関西文化に溶け込めず、約2年間引きこもる。
「家庭環境が複雑だったこともあり、学校を出て就職、結婚という普通の人生に魅力を感じられなかった。それに、人と同じことが嫌いなくせに、世の中からはみ出していることがコンプレックスだったりして。一体、自分は何をすればいいのか、この先どうなってしまうのかと将来がものすごく不安で、葛藤に満ちた時期でした」
そんな中、図書館で1冊の本と出会う。劇作家・寺山修司さんが著した『書を捨てよ、町へ出よう』だった。
既成概念を捨て自分らしく生きる決意
タイトルが心に突き刺さった。読み進むうちに、既成概念や一般的な生き方に縛られることなく、自分が表現したいことを自由にすればいいんだと気づかされた。クリエーティブに生きていこう、自分だけのオリジナルの人生を歩もうと、本に背中を押された増田さんは東京へ戻り、行動を起こす。寺山氏に関係のある劇団や現代美術の現場でスタッフやアーティストの手伝いを始めた。
「とは言え現場で足手まといになることが多く、少しでも役立つスキルを身に付けたいとテレビ局の大道具のアルバイトもしました。何でも吸収したくてどんな仕事も一生懸命にやっていたら、数年後には舞台設計など大事な仕事も任せてもらえるようになり、その経験は今すごく役立っています」
やがて、演劇やアートの形で作品を発表するようになる。当時からカラフルな作風だったが、モノトーンがカッコいい時代で、評論家からは「これは表現とは言えない」「アートではない」と酷評された。一方、友人たちからは褒められた。
「でも、やはりプロとして世間の評価をきちんと受けたい。そう思い、24歳の時に原宿で始めたのがショップ『6%DOKIDOKI』でした」
自分の中の好きなものを追求し、作品を生む
東京・原宿でひときわ目立つピンクの建物に、増田さんが経営するショップ「6%DOKIDOKI」はある。店内はまるでおもちゃ箱のよう。ポップでカラフルな雑貨や洋服がひしめき合っている。
「原点は幼少期に遊んだ商店街の雑多な風景や、縁日の綿菓子、水風船。アートの分野で自分がリアルに好きなものを追求すれば必ずオリジナルな表現になると信じて、1995年に24歳でオープンして今年20周年を迎えるわけですが、最初は現在の場所ではなく裏通りのビル3階だったこともあり、店として続けていけるのか大家さんや周囲に心配されました」
確かに経営は苦しかったが、開業1年目、映画監督のソフィア・コッポラさんが来日し、雑誌の取材で立ち寄って「東京らしいクレイジーな店」と紹介してくれたのを機に好転。取材が相次ぎ、コアなファンが集まる場所になっていった。更に、歌手・きゃりーぱみゅぱみゅさんとの出会いが大ブレークのきっかけとなった。
「きゃりーはデビュー前からショップによく遊びに来てくれ、それが縁でお仕事をするようになりました。当時、東日本大震災が起きて皆が悔いのないよう好きなことをやりたいと思い始め、時代の閉塞感(へいそくかん)からカラフルさやポップカルチャーが求められたのだと思う。彼女がそのアイコンとなり、僕も注目されることに。時代にようやく自分を受け入れてもらえ、仕事は一気に広がりました」
20代は経験のみ成功も失敗もない
20代は自分で壁を打ち破り、失敗も成功も関係なくただひたすら経験を積んで、30代でようやく人から任されるようになった。そして40代の今は実現したかったことを形にする時期だと語る増田さん。
「今、10ほどのプロジェクトが同時進行していて正直忙しい(笑)。でも、やりたいことができているので悔いはない。最近は自分をプライベートのない公共物だと思って仕事に向かっています」。いわゆる家庭や子どもを持つ普通の幸せはいらない。20代の時の決意通り、オリジナルな人生を生き抜く覚悟だ。
人は何に魅力を感じるのか。増田さんは「自分にできないこと」だと言う。だから未知なる挑戦をしたくなるのだと。新しい仕事に取り組む際、「もう次はない。これでダメなら諦めよう」とギリギリまで全力で挑むことにしている。臨界点を超えることができれば、本当の意味で次に目指すべき道が見えてくるからだ。
東京五輪開催の2020年、増田さんはちょうど50歳になる。それまでは全力で原宿カルチャーを発信し続ける。自分を常に崖っぷちに立たせながら。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
まったく考えられませんが、音楽など何かを作り出すクリエーターだったと思います。ただ、家庭など守るべきものがあったらまた変わっていたかも知れませんね。
人生に影響を与えた本は何ですか?
劇作家・寺山修司さんの「書を捨てよ、町へ出よう」です。この本との出会いで進むべき道が決まりました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
ピンクが好きなので、ピンク色のものを身に付けます。
Infomation
「もしもしにっぽん『MOSHI MOSHI BOX』」の顔となるモニュメント「世界時計」を制作!
日本のポップカルチャー(ファッション、音楽、フード、アニメなど)を世界に発信するプロジェクト「もしもしにっぽん」。その一環として観光案内所を併設した施設「MOSHI MOSHI BOX」の1号店が2014年12月25日に東京・原宿にオープンした。そのシンボルとなるモニュメント「世界時計」を増田さんが制作。「僕がイメージする原宿を上空から俯瞰(ふかん)して見たような世界観を構築。いろんな人が集まり、オリジナルを作ることで原宿が更に発展していくことを願って作りました」。施設には他にお土産屋などがあり、さまざまなサービスも提供。まずは時計を目当てに訪ねてみては。
営業時間:10:00~18:00
http://moshimoshi-nippon.jp/jp/