第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.131プロフィギュアスケーター 鈴木明子
心が折れてもあきらめない
Heroes File Vol.131
掲載日:2015/4/16
28歳の時、13回目の出場で全日本フィギュアスケート選手権初優勝。五輪にもバンクーバー、ソチと連続で出場しいずれも8位入賞という華々しい成績を残した鈴木明子さん。でも、2014年3月の現役引退までには何度も挫折やスランプを経験したという。それでも自分の可能性を信じ、あきらめなかったからこそ今があると断言する。
Profile
すずき・あきこ 1985年愛知県生まれ。東北福祉大学卒業。実績は2010年バンクーバー五輪8位入賞、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝、14年ソチ五輪8位入賞など。同年3月に選手を引退。テレビ出演や講演、解説など活躍の場を広げている。著書『ひとつひとつ。少しずつ。』『壁はきっと越えられる 夢をかなえる晩成力』。
純粋に楽しくて好きになったスケート
全身からほとばしるエネルギー。そして豊かな表現力で多くの観客を魅了してきたフィギュアスケート選手の鈴木さん。競技生活に終止符を打ったのは2014年3月だった。世界選手権を終えた直後で、ベストの演技ではなく悔しさも残ったが、「人生は多分こういうもの」と柔らかな笑顔で結んでいた。
「私のように29歳まで現役を続けた選手は珍しく、長く競技生活を送ることができて幸せ者です(笑)」
スケートを始めたのは6歳の時。天才肌ではなく、どの課題もマスターするのに人一倍時間がかかったが、滑ったり回転したりするのが純粋に楽しくて、一度もやめたいとは思わなかった。
小3の時、近くのスケートリンクが閉鎖となり、それからは名古屋のリンクへ約1時間かけて毎日通い、中高一貫校へ進学してからもレッスンをたゆみなく続けた。地道な努力は功を奏し、15歳で全日本選手権4位に。気がつけば将来を嘱望されるスケーターに成長していた。
ところが、思いがけない事態が起こる。単身、仙台の大学へ進学した18歳の年、摂食障害になってしまったのだ。
突然襲い掛かったどん底の日々
「女子選手が必ずぶつかるのが体形の変化という壁です。特に10代後半は太ることで回転のスピードが落ちたり、けがをしやすくなったりする。実家では母が食事の管理をしてくれていたので良かったのですが、一人暮らしになった途端、必要以上に『太ったらまずい。細い体形を維持しなければスケートは上達しない』と食事制限で自分を追い詰めてしまった。まじめで完璧主義の性格が災いしてしまいました」
体重は48キロから32キロまで落ち、普段の生活も難しくなる。医師には入院を勧められ、周囲も「スケートも大学もやめたら」と言ってくれたが、鈴木さん自身がスケートをあきらめきれなかった。「スケートしかやってこなかったのでやめたら何も残らないし、未来も絶たれてしまう。そっちの方が私には怖かったんです」
結局、入院せず自宅で療養することに。母親が根気強く支援してくれたお陰で、1年という早さで何とか練習に戻ることができました。しかし、また大きなショックを受けることになる。滑ることが全くできないのだ。1回転ジャンプもできないほどになっていた。
「でも母が『練習を再開できただけでも幸せじゃない』と言ってくれて、確かにそうだなと。その後も自分の情けなさにいら立つことが何度もあったのですが、その度に母の言葉を思い出し、ここからが本番、本当の意味で私のスケート人生の始まりだと言い聞かせ、練習に臨みました」
自分の弱さを認めれば人は強くなれる
摂食障害による1年のブランクを経て、2004年、19歳で競技人生を再スタートさせた鈴木さん。「元の自分に戻りたい」ではなく、「ここから新しい自分を始めよう」と気持ちを切り替えたという。地方予選からの挑戦だったが、大会ごとに力をつけ、06〜07年のユニバーシアード冬季大会で優勝。見事、復活を果たした。
「この大会は実は大きな転機でした。私は大学4年の冬で、よほど有望視されている選手じゃないと引退の時期なんです。ところが、優勝した私の滑りを見て『あなたの練習姿を子どもたちの見本にしたい』と、現在所属する会社が契約社員として採用してくれたのです。お陰で練習場所ができ、選手を続けることができました」
その後、28歳で全日本選手権初優勝、五輪ではバンクーバー、ソチの2大会連続8位入賞という快挙を成し遂げる。
「もちろんその間にもけがやスランプはありました。でも以前ほどには立ち止まらなくなった。つらい時こそ、自分に向き合うのではなく寄り添う形で考える。すると、一歩だけ前へ進んでみようと思え、踏み出せたりする。また、スケートで頑張っているんだからそれ以外のことは『まぁいいか』と手を抜いたり。それもこれも病気やさまざまな経験のお陰。自分の弱さを受け入れたら、気持ちの切り替えができるようになり、困難の乗り越え方も上達したような気がします」
次なる目標は振付師になること
シングルのスケーターはリンクという舞台でたった一人で演技する。「準備万端でも失敗はありますから緊張します。実力を発揮するには自分で自分を鼓舞するしかない。でもその時、自信を与えてくれるのは練習量。一番怖いのは練習が不十分だったと自覚しながらリンクに上がることです」
今も氷の上で滑っている瞬間が何よりも好きだ。「その時だけ自分らしさが出せる気がするから」。だから選手引退後もプロの道を選んだ。現在も最低1時間半から2時間は氷に乗って毎日練習するという。
更に最近は、アイスショーのほか講演やコメンテーター、テレビのバラエティー番組への出演にも力を注ぐ。
「普通では学べないことをスケートを通して学ぶことができたし、遅咲きだったけれど、遠回りした分、ほかの人には見えない景色をたくさん見ることができました。それら全てを生かして今、いろんな仕事ができることがうれしい。本当に人生に無駄はないですね」
今後はフィギュアスケートの振付師にも挑戦したいという。指導するのも好き、そしてクリエーティブなことにも興味が高い。鈴木さんの大きな瞳が、より輝き始めた。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
踊りなどで何かを表現することが好きなので、体や言葉を使う表現者になっていたと思います。
人生に影響を与えた本は何ですか?
水野敬也さんの「夢をかなえるゾウ」は、発売当初よく読んでいました。試合にも持って出掛けていましたね。大事なことを笑いながら明るく教えてくれるし、自分自身を追い詰めなくてもいいんだって言ってくれている感じが私にはちょうど良かったんです。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
大学時代、摂食障害となり、氷の上に二度と立てないと思った経験があります。あの時を思えば、今こうして氷に立てているだけで幸せ。その感謝の気持ちで、いざという時の自分を支えています。
Infomation
著書「ひとつひとつ。少しずつ。」「壁はきっと越えられる 夢をかなえる晩成力」
13回目の出場で全日本フィギュアスケート選手権を制し、ソチ五輪に出場。バンクーバー五輪に続いて五輪2大会連続入賞を果たした鈴木さん。32キロまで体重が激減した摂食障害を克服し、スランプを乗り越えていくつもの栄冠をつかんできた彼女が、不安や恐怖を乗り越える方法を著書で伝授。二つの書籍、そのどちらにも彼女の素直な思いが詰まっていて、何かを成し遂げたい人や悩んでいる人にぜひお薦めだ。
「ひとつひとつ。少しずつ。」
定価:1,200円(税別)
発行:(株)KADOKAWA
「壁はきっと越えられる 夢をかなえる晩成力」
定価:1,300円(税別)
発行:(株)プレジデント社