第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.144歌舞伎俳優 市川猿之助
好きな道を極める覚悟
Heroes File Vol.144
掲載日:2016/1/7
2015年秋には人気漫画『ワンピース』を歌舞伎にした舞台に挑戦し日本中を沸かせた四代目市川猿之助さん。歌舞伎界の新たなリーダーの一人として期待を集める一方現代劇や映画、ドラマにと幅広く活躍している。研ぎ澄まされた知性と尽きることのない芸への意欲。それが原動力の人だ。
Profile
いちかわ・えんのすけ 東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。1980年初お目見え、83年二代目市川亀治郎を襲名、2012年四代目市川猿之助を襲名。14年から「スーパー歌舞伎Ⅱ」を上演、映画やドラマ、舞台でも活躍。東京・Bunkamura シアターコクーンにて16年1月7日から公演中の「元禄港歌―千年の恋の森―」(蜷川幸雄演出)に出演。
演出家・蜷川さんは同じ感性を持つ同志
年明け早々に東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで始まった舞台公演「元禄港歌―千年の恋の森―」。元禄時代の回船問屋を舞台に、親子や男女の情愛を悲しくも美しく描いた物語だ。1980年の初演以来、何度も上演を重ねてきた傑作で、猿之助さんは、ごぜ(盲目の女芸人)たちの座元としてたくましく生きる女性をつややかに演じている。
演出の蜷川幸雄さんとは本公演が4度目のタッグ。稽古の厳しさでは有名な演出家だが、「上から目線ではなく、役者と手を取り合っていいものを作ろうとして下さるところがいい」と猿之助さんは話す。「役者を試すところがあって、同じ演技ばかりしていると確かに怒鳴られる。でも、何が何でも世の中を驚かせるような面白いものを作ろうとする気概や、ワクワクとときめく対象が同じだったりするので、僕にとっては失礼ながら同志のような存在です」
今回の公演も、蜷川さんは単なる再演にしたくないと思っていたはずだと語る。「イメージを一度ぶっ壊して新しいものにしようとしていた。そこに深く共感するので、今回もグイグイ食い込んで意見やアイデアを言わせてもらいました。どうせなら突撃する勢いで言いまくり、『うるさい!』と怒られるほうがいいじゃんと思う性格なので(笑)」
猿之助さんは、三代目市川猿之助の弟、四代目市川段四郎の長男として生まれ、4歳の時に歌舞伎座で初お目見え。7歳で二代目市川亀治郎を襲名して以降、歌舞伎俳優として活躍し続けている。
歌舞伎の家に生まれ育ったから役者になるのは宿命のようなもの。だが実際は、最初から稽古も舞台も楽しくて、苦に感じたことはなかったそうだ。「何かを世の中に発したいという欲って、誰にでもあるのでは。僕にとってその発信場所が歌舞伎だっただけ。特に芝居は発明に少し似ていて、今までなかったものを生み出して発信できるところが面白い」
大学時代に気づいた「この道しかない」
役者としての覚悟が決まったのは大学時代だ。就職活動をする友人たちの姿を見て「自分に会社勤めは難しい。だったら好きな道を極めよう」と。
歌舞伎界にあって異端、反骨の系譜と称される澤瀉屋(おもだかや)の血を継ぐ。それゆえ自身の勉強会「亀治郎の会」を立ち上げたり、いったん一門を離れたり。同世代の歌舞伎俳優たちとは一線を画し、独自のやり方で研さんを積み重ねてきた。「好きだからやる、自分がやりたいからやる。そのスタンスは一貫しています」。自由闊達(かったつ)さこそ澤瀉屋の気風。その精神を受け継ぐべく、2012年に猿之助さんは四代目市川猿之助を襲名した。
僕にあるのは圧倒的な勇気だけ
2015年、猿之助さんは新風を巻き起こして日本中を驚かせた。「スーパー歌舞伎Ⅱ」の新作として人気漫画『ワンピース』を歌舞伎にしてしまったのだ。
「最初はちらほら散見された空席が、日を追うごとに埋まっていくのが快感でした。本来の芝居の在り方だと思いましたね」。しかし、東京公演千秋楽の時点で満足度は70%と厳しい。「やり遂げた充実感は心地良く残ったけれど、もっとこうしたいという欲が出てきた。だから今年3月からの大阪公演は、大幅な改訂が加わると思います」
満足はしても決して安住はしない。更に高みを目指すだけだと言い切る。「この公演は演出も担当したので、不安はなかったのかとよく聞かれましたが、みじんもなかった。かといって自信があったわけでもない。ただ、万人に受けなくていい、共感してくれる人が少しでもいればいいという思いだけでした。多分僕にあるのは勇気だけ。だから怖いもの知らずで突き進めるんです」
その勇気はどこから来るのか。 「おそらく育った環境やこれまでの経験、人との出会いで培われたものだと思います」
四代目市川猿之助を襲名した時も、プレッシャーはなかったと語る。「僕にとって猿之助の名は先代の功績があったからこそのブランドであり、フリーパスのようなもの。勇気だけでは難しかったことにも挑戦できるようになった感じです。組織でも、出世すれば自分の裁量で物事が動かせるようになるでしょう。それと同じような気がします」
夢や希望よりも目の前の仕事を大事に
これまで、挫折した経験はないという。ただ、価値観が大きく揺るがされたことはあった。11年の東日本大震災だ。
「今なお仮設住宅で暮らし、1年後が見えない状況の人たちを前にして、夢や希望を語るのは失礼な気がする。何より夢って、『いずれやればいい』という、今できないことの言い訳のようにも聞こえます」。だからこそその日その日、目の前にある仕事を一生懸命にやる。先のことは考えずに。そうすれば、不思議と次にやるべきことが待っていてくれるという。
歌舞伎は1カ月のうち、ほぼ毎日公演がある。同じ演目で同じ役を演じ続けるのはちょっとした修行だよねと笑う。「淡々とやる。でも、間違っても習慣にはしない。人のために新鮮な気持ちを持って努力し続けることが仕事です」
歌舞伎公演が終わった翌日から現代劇の稽古やドラマ、映画の撮影に入ることも多い。「体力に自信はないですが、『舞体力』は相当ありますから平気。命ある限りこの仕事に身を投じる覚悟です」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
今の仕事以外あり得ません。というか、それならむしろ生まれていない。歌舞伎役者になるために生まれてきたと思いたい。
人生に影響を与えた本は何ですか?
梅原猛さんの著書全般。既成概念を信じるな、うのみにするな、まず疑え。そのうえ で自分の信じた道を行けと教えられました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
何かにこだわると、それができなかった時にものすごく心の負担となる。自分に変に制約を設けてしまうのが嫌なので特別なことは何もしません。
Infomation
舞台「元禄港歌―千年の恋の森―」に出演中
初演から36年。“出会えなかった観客たち”に今贈る、演出家・蜷川幸雄、渾身の舞台。情感あふれるセリフや目を奪う美しい場面の数々、そして日本人の魂を揺さぶる劇中歌——。1980年の初演以来、上演を重ねてきた傑作舞台「元禄港歌―千年の恋の森―」が、Bunkamuraシアターコクーンの2016年幕開き公演として1月7日(木)から31日(日)まで上演。
作:秋元松代、演出:蜷川幸雄、音楽:猪俣公章、劇中歌:美空ひばり、衣裳:辻村寿三郎。
出演:市川猿之助、宮沢りえ、高橋一生、鈴木杏、市川猿弥、新橋耐子、段田安則ほか。
問い合わせ先:Bunkamuraチケットセンター(電話03-3477-9999)。
※大阪公演もあり、日程は16年2月6日(土)~14日(日)、場所はシアターBRAVA!、詳細はキョードーインフォメーション(電話0570-200-888)。