第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.171レーシングドライバー 井原慶子
完璧主義を捨てたら壁を乗り越えられた
Heroes File Vol.171
掲載日:2017/8/24
プロのカーレーサーになりたいと思ったのは20歳を過ぎてから。お金も知識も経験もゼロ。当時はまだ自動車免許すら持っていなかった。周囲からは「女性は無理」「遅すぎる」と反対されたが、自分を信じて努力し続けやがて世界最速の女性トップレーサーにまで上り詰める。そんな井原さんに話を伺い、夢を実現させる秘訣(ひけつ)に迫った。
Profile
いはら・けいこ/1973年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任准教授。FIA(国際自動車連盟)アジア代表委員。2017年9月2日(土)・3日(日)開催「スーパー耐久シリーズ2017 第5戦 富士SUPER TEC」に井原さん率いる女性レーサー集団が参戦予定。
「ル・マン24時間レース」など自動車の国際レースで日本人女性初の入賞を数々果たし、今や「世界最速の女性レーシングドライバー」として知られる井原さん。その出発点、プロのレーサーを目指したのは大学時代だった。レースクイーンのアルバイトでサーキットを訪れたのがきっかけだ。「レーサーもメカニックもエンジニアも命懸けで、彼らの『本気』が胸に刺さり、こんな風に頭と体の能力すべてを振り絞って仕事がしたいという衝動に駆られました」
当時の井原さんは自分が何をしたいのか分からず悶々(もんもん)としていた。だが本気の姿は人を変える。井原さんの迷いは瞬く間に消えた。自動車免許を取ることから始め、どうしたらレーサーになれるのかを聞いて回る。「女性には無理」「今からでは遅すぎる」と反応は冷たかったが、不思議なほど意志は揺るがなかった。
車の購入資金をためる必要があったのでモデルやコンビニのほか、運転スキルを磨ける宅配便のアルバイトなどもした。「後々役立ったのはドライビングスクールのインストラクター。実践的な運転技術と車の知識を学べ、レーサーの基礎を築くことができました」
そして25歳の時に「フェラーリ・チャレンジ」でレースデビュー。いきなり3位という好成績で、総合優勝も果たした。しかし井原さんには「レースの世界に入ったのが普通の選手よりも20年遅い。思い切って厳しい環境に飛び込まないと生き残っていけない」という危機感があり、単身海外へ。その後イギリス、フランスを拠点に世界を転戦する生活を10年以上続けた。
「レースは命懸けのスポーツですから、高度な運転スキルだけではなく、メカニックやエンジニアに車の状態を伝えるコミュニケーション能力も重要になってくる。でも、当初は英語が話せなかったのでそれが難しかった。それに女性だから、アジア人だからということで悔しい思いもたくさんしました」。しかし同時に、精神的にはかなり鍛えられた。過酷ではあったけれど貴重な経験をいろいろしたと振り返る。
「レースというのは複雑な要素が絡み合う仕事で、人にもモノにも完璧を求めるとうまくいかないことのほうが多い。だから『今日自分ができることはこれで全部かな?』と考えることにしました」。高い目標を立てると、それができなかった時に挫折感や劣等感だけが残る。でも「今日できる限りのことをする」ということに徹すれば、力を出し切れるので達成感や成長の実感だけが残る。すると次へのモチベーションが湧いてくる。これが、井原さんが厳しい海外遠征で身に付けた処世術である。
緊張する環境で味わう感情がモチベーション
海外遠征で数々の入賞を果たし、女性レーシングドライバーとして世界最高ランクにまで上り詰めた井原さん。そこに至るには自分の努力だけではどうにもならない困難もあった。
「2000年ごろは、結果が良くてもスポンサーが買収されたりして翌シーズンは走れないということもあり、しんどかったですね」。生き残っていけるのかという不安が常にあり、07年の帰国時は心身共に絶不調。「その後4年間は年1回の国際大会にだけ参加し、ほとんど引退のような生活をしていました」
そんな井原さんのレーサー魂に再び火をつけたのが、「ル・マン24時間レース」が世界選手権になるというニュース。「あ、出たい、世界最高峰で戦ってみたいと思ったんです」。すぐにスポンサーを探すべく営業に動き出す。「ブランクが長く難航しましたが、何とか見つかって翌年のル・マンに出場することができました」
そこで見事に入賞を果たし、表彰台に上がる。その後3年連続で参戦、14年には「アジアン・ル・マン・シリーズ」で女性として史上初の総合優勝という偉業を成し遂げている。
レーサーになって約18年。すでに女性トップレーサーとしての地位を確立した井原さんだが、その向上心はとどまらない。自分の中で「いろいろなことが難なくできるようになっているな」「成長が止まっているな」と感じるようになったら、思い切り恥をかいたり、悔しい思いをするような一つ次元の高い環境に、意識的に飛び込むようにしているという。
「恥ずかしさや悔しさなどの感情こそが私の最大のモチベーションです。レーサーという枠にとどまらず、さまざまなものに挑戦することで切磋琢磨(せっさたくま)し続けたい」。その言葉どおり、現役レーサーの傍ら、大学の特任准教授や子供への英語教育活動、そして自動車メーカーや自治体と組んで行っている電気自動車のインフラ整備など、多様な仕事にチャレンジしている。
特に今、最も力を入れているのが15年から開始した、レーサーやエンジニアなどを目指す女性を支援する「FIA/JAF ウィメン・イン・モータースポーツ・プロジェクト」だ。その一環として女性だけのレーサーチーム「LOVE DRIVE RACING」を立ち上げ、今年度は「スーパー耐久」レースに参戦している。
「人材育成や教育活動はやりがいがあります。いろんな可能性が生まれるので」。興味を持ったら一歩でも前や横に進んでみる。「たいていのことは失敗したって死にません。自分の心に素直に進めば、人より時間はかかっても必ず行きたい場所にたどり着くと信じています」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
ニートかな(笑)。でも今の私は、数年前から女性レーサー育成のほか大学で教えたり、自宅で子どもの英語教室をしたりと多様なキャリアにチャレンジしていて、“人生100年時代”において1人が生涯で複数のキャリアを持てる時代になったと思います。
人生に影響を与えた本は何ですか?
ランス・アームストロングの著書『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』です。アームストロングは自転車のプロロードレース選手だった人で、がんで脳まで侵されながらも奇跡的に復活し、1999年から2005年にかけてツール・ド・フランスで7連覇した選手。ちょうど私が心身共に不調で休んでいた時期に読み、非常に勇気づけられました。ただその後、彼がドーピングで7連覇を取り消された時は悲しかったです。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
おにぎりです。レースの本番前にお米を食べるとパワーが沸いてきます。海外を転戦していた時もお米は欠かさないようにしていました。
Infomation
「スーパー耐久シリーズ2017 第5戦 富士SUPER TEC」参戦!
井原慶子さんが総監督と務める女性だけのレーシングチーム「LOVE DRIVE RACING」が、今年「スーパー耐久」「TOYOTA GAZOO Racingラリー選手権」「全日本EV-GP」の3レースにフル参戦している。近々では2017年9月2(土)・3日(日)に富士スピードウェイで開催予定の「スーパー耐久シリーズ2017 第5戦 富士SUPER TEC」に参戦。
Love drive公式サイト http://lovedrive.co.jp/
「WOMEN IN MOTORSPORT『L1 Rally in 恵那』」開催!
自動車産業やモータースポーツで女性の活躍を推進するプロジェクト「FIA /JAF WOMEN IN MOTORSPORT」も井原さんが要となって取り組んでいる。2017年もさまざまなイベントを行っているが、11月25日(土)・26日(日)には岐阜県恵那市で女性によるラリーが開催される予定だ。