第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.205 社会学者/作家 古市憲寿
居場所を複数持てば動ける自由度が増す
Heroes File Vol.205
掲載日:2019/9/6
「挫折? 先日、芥川賞に落ちたことですか。色んな人から期待されてましたからね(笑)。でもそれ以外にあるかなあ。比較的、順風満帆な人生なんですよね」。無邪気な笑顔でそう言われると思わず納得してしまう。
スレンダーで、さりげなくファッションセンスが光る気鋭の社会学者・古市憲寿さん。気づくと、テレビのワイドショーなどのコメンテーターとして引っ張りだこの存在だ。
そんな古市さんに、独自色のある仕事観を語っていただいた。
Profile
ふるいち・のりとし/1985年東京都生まれ。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。著書『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、ほかに『誰の味方でもありません』『保育園義務教育化』など。初の小説単行本『平成くん、さようなら』に続く新刊『百の夜は跳ねて』が発売中。
2011年、若者像を的確に捉えた評論『絶望の国の幸福な若者たち』で高く評価された社会学者の古市さん。初の小説『平成くん、さようなら』を昨年刊行し、19年6月には小説の単行本2作目『百の夜は跳ねて』を発売。第1作に続いて芥川賞候補になった話題作だ。就職活動に失敗した後、窓ガラス清掃の仕事に就いた青年と、タワーマンションに暮らす老女との奇妙な交流が描かれた青春小説。
「平成から令和へと移りゆく今の時代を生きる青年が、老婆と出会うことで目線が変わり、この世界もまんざら悪くないと気づいていく物語です」。古市さんはこの主人公の青年の成長に自身の心境の変化を重ねたという。「今、僕がここに居るのは幾つもの選択の積み重ねで、もし一つでも選択が違っていたら全然違う人生を送っていた可能性はある。では、ここに居ない自分は何をしていたのか。それは知る由もないですが、そんなもしもの自分を想像しながら書きました」
実際の古市さんは、高校卒業後に慶應義塾大学環境情報学部へAO入試で進学。当初は建築やデザインの授業を取っていたが、2年の時、授業を受けたのをきっかけに社会学への興味を持ち始める。「僕の社会に対する違和感を見事に言語化してくれたという爽快感がありました。常識を半分疑ってかかるような学問、というところにも魅力を感じましたね」
だからと言って、社会学者になろうと思ったわけではない。そもそも将来の夢などなかったと語る。「3年からノルウェーに留学しましたが、それも一般企業への就活を避けるため。毎朝同じ会社に通うのは性に合わないと思っていました。帰国後、大学の先生の勧めで東京大学大学院へ進学しましたが、その前から大学の仲間に誘われるまま起業をしたりしていました」
院生時代、世界を船で巡るピースボートに参加する機会を得てさまざまな経験をし、せっかくだからと言われて修士論文にまとめたら書籍化された。「それを機に社会学者と呼ばれるようになった、という感じです。僕自身はこの肩書にまったくこだわっていません」
最近は執筆活動やメディア出演、講演会などさまざまな仕事を精力的にこなしている。「基本的には受け身で、勧められたことをやってきているだけ。ただ、職業を一つに絞りたくないという考えはあります。収入源が一つというのは非常にリスキーで、それがダメになった時が怖いので。そのため、できるだけ自分の居場所をたくさん持つようにしています。複数の場所に身を置くことで、むしろ自由に好きなことができると思うんです」
「努力」より「好き」でできることを仕事に
社会学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員、作家、そして昨今はテレビやラジオの情報番組などにコメンテーターとして数多く出演。まさに八面六臂(ろっぴ)の活躍を続ける古市さん。多忙な日々でしんどく感じることもあるだろうと思いきや、「基本的にはラクなことを選んでいるので大丈夫。『好き』な気持ちで取り組めることだけを仕事にしているので、どれも楽しんでやっています」と笑う。
子供のころから文章を書いたり絵を描いたりすることが大好きだったという。そのせいか人と会わず、家にこもりがちだった。そんな古市さんに、「頭の中で考えるだけでなく現場へ出るのも悪くない」と教えてくれたのが大学時代の恩師だ。授業の一環で街へ繰り出したり、子供たちに英語を教えたりといったことをたくさん体験させてくれた。「今、僕がこんなふうに色々な仕事にスッと入っていけるのはその先生のお陰かも知れません」
そんな古市さんはまた「努力したら負けだ」とも考えている。「例えば本当はそれが苦痛なのに努力で絵がうまくなった人と、好きで好きで自然に絵を描いてしまう人だったら、後者の方が絵描きとして長続きすると思うんです。だから僕も、なるべく自分が努力と感じずにできること、何時間でも無我夢中で没頭できることを仕事にするようにしています。そのほうがストレスもないし、より良いものを生産したり創作できたりすると思うんです」
そして、好きでできることを仕事にするためには専門性を持つことが大事だと説く。「やりたいことが特に何もなくても、得意なことが一つでもあれば、それを生きる糧にすればいいんです。その才能は誰にも奪えないものだし、それがあると思うだけで気分的にもラクになれます。ちなみに僕の場合は分かりやすい文章を書くことが得意。逆に社会学は、この先何歳まで気づきを得ていけるかあいまいなので、自分の武器だとはあまり思っていません」
「書く」という得意を更に生かすべく挑戦した小説も、『百の夜は跳ねて』ですでに単行本2作目。「エッセーや評論では書けないような気づきを表現できるので、ささやかな日常の出来事にもより敏感になった気がします。自分にもう一つ新たな視点が増えました」
実は小さなころから「愛されキャラ」で、周りが放っておかない存在だったようだ。そんな古市さんに、本人流のコミュニケーション術を聞いた。「それは自己紹介ができる自分を持つことですね。初対面の相手でも、自分は何者かをちゃんと伝えられれば、相手との距離はグッと縮まるはずです」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
ゲームクリエーターです。一つの世界観を作り上げていくという作業に魅力を感じます。
人生に影響を与えた本は何ですか?
漫画『藤子・F・不二雄SF短篇集』ですね。中学生のころに読みました。性欲と食欲が逆転した世界の話など、短い物語なのにどれも常識を揺るがすものばかり。ものすごく衝撃を受けたのを覚えています。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
色んなものに惑わされてしまう性格なので、ありすぎて一つに絞れません。
Infomation
小説第2弾『百の夜は跳ねて』が発売中!
古市憲寿さんの小説単行本第2弾『百の夜は跳ねて』が発売中だ。就職活動が全滅だった青年・翔太は、ふとしたきっかけでビルのガラス清掃員になる。ある日、見知らぬ島について語る「声」を聴きながら高層ビルの窓を拭いていると、ガラスの向こうに住む老婆と目が合って……。境界を越えた出会いは何をもたらすのか。無機質な都市に光をともす「生」の姿を切々とつづった、新感覚の青春小説。第161回芥川賞候補となり、受賞は逃したものの東京のリアルな今を描いていると高く評価された。「どんなにシニカルに社会を見つめても、社会と無縁に生きていくことはできない。だから、一歩でも足を踏み出したほうがいいことがあるかも知れないし、そこまでいかなくても、この世界もまんざら悪くないなって読んだ人が感じてくれたらいいなと思います」と古市さん。
発行元:新潮社
定価:1,400円(税別)