第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.225 俳優 松尾諭
食っていけなければ、その仕事はうそ
Heroes File Vol.225
掲載日:2020/11/27
ドラマ「SP警視庁警備部警護課第四係」シリーズやNHK連続テレビ小説「ひよっこ」「エール」、そして映画『進撃の巨人』『シン・ゴジラ』など、話題のドラマや映画でよく見掛ける俳優・松尾諭さん。
この度、自らの半生をネタに書き上げたエッセーも、リズミカルで読みやすいと上々の評判だ。ここにきて文才も発揮し始めた松尾さんに、本業である役者の仕事について、その思いを伺った。
Profile
まつお・さとる/1975年兵庫県生まれ。関西学院大学中退後に上京し、2000年公開の映画で俳優デビュー。映画『シン・ゴジラ』やドラマ「ノーサイド・ゲーム」「ひよっこ」「エール」など多数出演。自身の波瀾(はらん)万丈な人生をつづったエッセー『拾われた男』が発売中。
数え切れないほどのドラマや映画に出演し、その度に独特の存在感を放っている俳優の松尾さん。2020年6月に出版した自伝風エッセー『拾われた男』が好評を呼んでいる。
「40代に入って何か新しいことに挑戦したくなっていた時に声を掛けてもらい、『文春オンライン』(ニュースサイト)で約3年間エッセーを連載させていただきました。それを今回、書籍化したんです。これまで経験した数々の破天荒な人生エピソードを書いています。不幸話も出てきますが、関西人なので笑って面白がって読んでもらえたらうれしいです」
兵庫県尼崎市に生まれ育つ。高校時代、学校行事で鑑賞した演劇に心を奪われた。地元の大学へ進学するも中退し、フリーター生活を経て24歳の冬、役者を目指して上京。でも、何かツテがあるというわけではなかった。
劇団のオーディションも受けそびれ、途方に暮れていたある日、路上で航空券を拾い交番へ届けた。すると持ち主は偶然にも芸能事務所の社長! そんなドラマのような奇跡的な出会いのおかげでその事務所に所属。これで一気に役者への道が開かれた——と思いきや、現実はそこまで甘くはなかった。
「受けたオーディションはことごとく不合格。仕方ないので生活費はアルバイトで稼ぎました。事務所の先輩女優の付き人として働いたこともあります」。私生活もうまくいかず、気持ちがすさんで酒量が増えた時期もあった。 しかし25歳ごろからぽつぽつとオーディションに受かり始め、撮影の現場へ。そんななかで仕事観が一変する出来事があった。三つほど年下の役者仲間から「僕らの仕事はお金でしか評価されない。役者をやるからには食えなければうそや」と言われたのだ。
当時、役者で飯が食えなくても板の上で死ねれば本望、みたいなことを偉そうにうそぶいていた。「だけど確かにそいつの言うとおり。バイトで食いつないで芝居をするのではなく、役者を職業として選んだからには、それでちゃんと生計を立てられなければプロにはなれないと思いました。でも、だからってすぐに状況が変わるわけもなく相変わらずバイトは続けましたが、どうしても食えるようにならなかったら役者を辞めるという覚悟はできました」
そうして32歳になる頃、ドラマ「SP警視庁警備部警護課第四係」でメインキャラクターの一人に抜擢(ばってき)。一躍注目され、そこから勢いを得てNHK大河ドラマ「天地人」や映画『テルマエ・ロマエ』など話題作に呼ばれ始め、以降、着実にキャリアを積み重ねていくことになる。
どんな現場でも真っすぐに立つ
味わいある昭和顔と格闘技で鍛えたがっちりした体格。それ故松尾さんは、撮影現場で「余計な芝居をしなくていい。君は顔が面白いんだから」と言われることが多かったそうだ。
「そう言われることに最初の頃は抵抗があったのですが、経験を重ねていく中で、徐々に僕のような役者はむしろ奇をてらったことをしないほうがいいというのが分かってきました。特に色んな作品にちょこちょこ出させていただいているので、事前に自分で役のキャラクターを決めつけず、現場に入ってから監督の要望に合わせて演じるよう心掛けるようになったんです」
ところが15年に出演したドラマ「デート〜恋とはどんなものかしら〜」は、そのやり方が通用しなかった。実力ある役者がそろい、監督も脚本も素晴らしい。そんな現場に自分の芝居だけがそぐわなかった。手応えが感じられず、悔しかった松尾さんは親しい俳優仲間に相談。すると「松尾君は今まで直球を投げてきた。そろそろ変化球を投げてもいいんじゃないか」と。「役のキャラを決めつけないということにとらわれすぎていたようです」
彼のアドバイスを受け、自分なりの工夫を織り交ぜて演じてみたらうまくハマった。「でも、それで僕の芝居がすごく良くなったとは思わない。そもそも芝居には正解がないですから。ただ、一つの解に近いものが得られました」。実際、「デート」の演技が評価され、映画『シン・ゴジラ』への出演につながった。
紆余(うよ)曲折のある20代と30代だった。でも、心のどこかで自分は何でもできるんだと信じていたと振り返る。
「無限の可能性が自分にはあると思い込んでいました。それは40代になった今も変わっていません。以前、ある先輩から『できないと言うと一生できなくなる』と言われたんです。だから絶対に『できない』と思わないようにしています。何でもできるんだから、40代の今だってどんなことにも興味を持ってチャレンジしていきたい。常に大志を抱いていたいんです」
人の言葉を大切にする。友だちや先輩から言われた言葉を素直に受け止め、指針にしていく。だからぶれずに役者の道を歩むことができているという。そんな松尾さんが、事務所に入った頃に教えられたことを話してくれた。
「演技のことはあまり教えてくれなかったのですが(笑)、ただ、ちゃんと真っすぐに立っていなさいということだけは言われました。モデル中心の事務所だから姿勢という意味もあると思うのですが、どんな現場でも気持ちを真っすぐに持っていなさいということだと受け止め、今もそれは守っています」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
システムエンジニア。パソコンを使う仕事をしていたと思います。初めて書いた本『拾われた男』の装丁画はiPadを使って自分で描いたのですが、なかなか楽しい作業でした。
人生に影響を与えた本は何ですか?
人生に、というほど大げさなものではないですが、『拾われた男』を書くにあたり、うっすらと僕の心の中に車谷長吉さんの『鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)』という小説がありました。車谷さんは関西人で、独特の文体や表現が好きだったので。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
以前は、いざという時に音楽を聴いたりして自分を奮い立たせていたのですが、気持ちが高まりすぎて空回りしたり、むしろ硬くなったりしてしまうことに気づき、それ以来、特に何もしなくなりました。それに、ドラマ「SP警視庁警備部警護課第四係」に出演させていただいた際、主演の岡田准一君から教えてもらったことがあるんです。アクションシーンで「用意、スタート」って声が掛かるとその瞬間にグッと力が入ってしまいがちだけど、そこが一番力を抜かなければいけないところだ、と。それからは、ここぞという大事な時こそ力を抜くように心掛けています。
Infomation
エッセー『拾われた男』発売中!
松尾さん初の自伝風エッセー『拾われた男』(文藝春秋)が2020年6月に発売された。自動販売機の下で拾った航空券を交番へ届けたら、落とし主は芸能事務所の社長で、そこから役者人生が動き出した――。女性に振られた回数13回、借金地獄、落ち続けるオーディションなど数々の挫折と失敗を経てつかんだ恋と役者業。そして一本の電話によって何年も会っていない兄を迎えにアメリカまで行ったエピソードなど、うそのような本当の話の数々が盛り込まれた波瀾(はらん)万丈の半生が描かれている。思わず声に出して笑ったり、ホロリとさせられて涙したりと読み応えのある一冊。「決して高尚な本ではないので、気軽に手に取って笑い転げながら読んでもらえたらと思います」と松尾さん