第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.231 ミュージシャン 尾崎世界観
難しいものへの挑戦は心のボディービル
Heroes File Vol.231
掲載日:2021/4/16
疾走感あふれるメロディーと、胸が締めつけられるような、独特の言葉のセンスでつづられた歌詞で多くのファンを魅了し続けるロックバンド「クリープハイプ」。そのボーカルとギターを担当しているのが尾崎世界観さんだ。
バンドのフロントマンとして数々のテレビやラジオ、雑誌の仕事も手掛け、かつ最近は執筆活動でもその才能を発揮している。そんな尾崎さんに仕事への思いを伺った。
Profile
おざき・せかいかん/1984年東京都生まれ。2001年にロックバンド「クリープハイプ」を結成し、ボーカルとギターを担当。12年メジャーデビュー。16年、初の小説『祐介』を刊行。20年12月に芥川賞候補となって注目を集めた小説『母影』は、世代を超えて好評だ。
20代を中心に熱狂的な支持を得ている4人組ロックバンド「クリープハイプ」。そのボーカルとギターを担い、大半の作詞作曲を手掛ける尾崎さん。2020年、新型コロナウイルスの影響で音楽活動が停滞した中、文芸誌への掲載を目標に小説『母影(おもかげ)』を執筆した。それが芥川賞候補に選出され、受賞は逃したものの今なお大きな反響を呼んでいる。
「これまでの経験もあって音楽活動、特に作詞には自信があります。ただ、コロナ禍で時間があるから新曲を書くというのは何だか違うのではないかと思いました。そこで、自分にとって一番難しいと思う『小説を書く』ことに挑戦したんです。ちょっと心のボディービルをするように(笑)。音楽以外のフィールドでメンタルの部分に負荷をかけ、そこで闘って少し結果を出せたことは自信になりました」
高校時代からバンド活動に夢中だった。ただ、音楽で食べていきたいとは思いつつ、卒業後は製本会社に就職。「当時は優柔不断で、仕事かバンドのどちらかを選べなかった。というか、『夢を追いかける』という状態を求めることで満足していた気がします」。しかし、ライブ活動と仕事の両立が難しくなり、約1年後に会社を退職。それ以降はアルバイトをしながらバンドに専念した。
クリープハイプの結成は01年、現在の4人になったのは09年だ。このメンバーで12年にメジャーデビューを果たしている。ただそこに至るまで、尾崎さんはメンバーのことについてずっと悩んでいたという。「本当に何度も人が入っては、やめていきました。うまくいかないことをメンバーのせいにしてしまうこともあったし、そもそも自分が作ったものを人に演奏してもらうのはすごく難しい。ずっとはがゆかったです」
それが今のメンバーと出会って、10年以上続いている。尾崎さんはバンドのフロントマンとしてテレビ出演やエッセー、小説執筆などさまざまな活動を精力的に展開。それをほかの3人は温かく見守ってくれている。仕事の量は段違いだというが、それが自分たちにとってはとても良い状態なのだそうだ。
「デビュー当時は自分だけが色々やるということに引け目がありました。でも考えたら、自分はやりたいからやっているだけ。そのことを周りにも分かってもらうため、何をするにも必ず結果を出そうと心掛けています」。ある意味、クリープハイプはすごくいびつな形をした会社のようだという。でもそれが、尾崎さんだけでなくメンバー3人にとっても自分らしさを発揮できる、実に働きやすい環境なのである。
一度逃げる。でもそれは新たな道につながる
尾崎さんの特徴的なハイトーンボイスは、ロックバンド「クリープハイプ」の魅力の一つ。ところが数年前、のどの不調で声が出なくなってしまい、そんな時に文芸編集者の声かけで初めて小説を書いた。それが『祐介』だ。
「このまま音楽をやり続けてもダメになる、バンドをやめようとまで考えていた時期でした。でも、どうせまたやりたくなるはず。だったら音楽を一生続けるためにいったんほかの道へ逃げよう。そんな思いで書きました」
その後、新しい曲を生み出すことができ、バンドにとっても新たな道を開くことができた。「好きなものを続けるために、違う道へ逃げることも時には必要。ただどんな道でもいいわけではなく、これをやったら道が開けるだろうとめどをつけたうえで選択するようにしています」
これまで、歌う行為そのものを楽しいと思ったことはないという。いつも、自分が作った曲が「ちゃんと伝わるかな」というプレッシャーがある。「楽しそうに歌う人を見て楽しくなるのは豊かなことです。でも自分は、苦しみもがきながら曲を作って歌っている。そういった内面に抱えるものが伝わった時、初めて人の心を動かすことができるのではないか。そこに自分が歌う意味を感じているのだと思います」
21年3月、約1年ぶりに有観客のライブを行い、4月からは全国ソロツアーも始まった。2作目の小説『母影(おもかげ)』が芥川賞の候補にノミネートされたことが追い風になって、メディアへの出演やインタビューも続いている。
「認めてもらえず、求めてももらえなかった時期が長かったので、声をかけていただけることが素直にうれしいです」。時には自分が想像していなかった仕事のオファーが来ることもあるけれど、「こういうことができると思われている」ということに喜びを感じるという。
「依頼される仕事から自分の可能性を教えてもらっている気がします」。何より、違う分野へ行くと、そこには想像以上のレベルでやりのけている人たちがいる。「その人たちに純粋に憧れるし、自分もそこまで到達したいなと思います。人と比べるのは良くないと言われがちだけど、自分にとっては誰かをうらやむことが必要なんだと思う。それは間違いなく原動力になっています」
インタビューを受けるのも好きだ。会話しながら自分の考え方が変わったり、相手もまた変わっていったりする瞬間を味わえるからだ。「基本的にずっとブレていたい。相手次第で柔軟に変化する、そんな余白のある生き方がしたい。だから、人としゃべる機会を大切にしています。人と話すことで見えてくる自分がいるんです」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
高校卒業後に製本会社へ就職したのですが、そのままそこに勤めていたかもしれません。
人生に影響を与えた本は何ですか?
「ゆず」の「ゆず一家」というアルバム収録曲のギターコードが掲載されている本です。中学生の頃、読みながらギターの練習をしていました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
ライブの日には必ずこれをはくと決めていた下着のパンツがあったのですが、結構はき尽くし、去年処分したばかりです。最後に写真を撮って「ありがとうございました」とお礼を言い、ビニール袋に入れて捨てました。目下、新しい「勝負パンツ」を探しているところです(笑)。
Infomation
新刊『母影(おもかげ)』が発売中!
尾崎世界観さんが、デビュー作『祐介』から4年半ぶりとなる小説『母影(おもかげ)』を発売した。主人公は母子家庭に育つ少女。彼女は小学校の帰り、母親が勤めるマッサージ店のベッドで宿題をしながら過ごすのが日課だ。カーテンの向こうで母親は何かをしていて、お客さんは時折変な声を出す。普通の状況ではないことを感じ取ってはいるものの、まだ言葉をあまり持たないがゆえ、それをどう表現していいのか分からない――。そんな少女の視点をもって描かれた本作。第164回芥川賞の候補になったことで注目された話題作だ。「『母影』を読んだけど共感できなかったという感想もいただきますが、それで全然いいと思います。僕自身も新しい感覚や新しい考え方を知りたくて小説を読みますし、そんなふうに先入観を持たずに読んでいただけたらと思います」と尾崎さん。
発行元:新潮社
定価:1,430円(税込み)