限界を超えるには下地のある根性が効く
工藤:実は僕、小さいころは野球が嫌いでした(笑)。
為末:そうなんですか?
工藤:野球好きの、「巨人の星」の星一徹みたいなおやじに無理矢理やらされたからなんです。西武に入団した時も、ほかの選手より足も球も遅く、格段にレベルが低かったのでなかなか戦力になれず、「選ぶ道を間違えた」と悔やんでばかりでした。
為末:僕は9歳で陸上を始め、中学で100メートル走の全国一になりました。でも、高3から記録が伸びず、限界を感じていた。そんな矢先、シドニーの世界ジュニア選手権でハードルの試合を見たらうまい選手がいない。この種目なら勝負できる余地があり世界一を目指せると思って、400メートルハードルに転向しました。
工藤:400メートルって無酸素状態の中では一番長いトラック種目。ハードルの技術も新たに身に付けなければならない。むしろ過酷な道を選択された気がするのですが。
為末:この種目なら「根性が効く」と思ったんです。その時の僕は勝つことをあきらめたくなくて、世界一を目指したかった。だから、好きな100メートル走に見切りをつけ、根性と技術で勝負できるハードルに懸けたわけです。
工藤:僕、大好きです、根性って。野球でも何でも、限界を超えるには努力と根性しかないと思う。
為末:一番根性で踏ん張った局面って何ですか?
工藤:9回裏ノーアウト満塁という状況の時です。「どうにでもなれ」と思いながら「おりゃあ」って自分の気をボールに込めて全力で投げる。何も下地がない状態では、大体根性って出せないんです。自分はこれだけのことをやってきたんだというものがあるから、最後の最後に残った力を振り絞ることができる。
為末:その通りだと思います。
工藤:正直、ノーアウト満塁ではきっちり投げても打たれる時には打たれる。そういう時に何を考えるか。打てるもんなら打ってみろと。俺はお前の何倍も練習やっているんだぞ、と。そういう気持ちがないと投げられない。
為末:決して投げやりではなく、前向きな「どうにでもなれ」が、案外力強い武器になりますよね。
工藤:少しでも腰が引けると結果は出せない。為末さんは走っている時、何を考えていますか?
為末:練習の時は「こう走った方がいい」「踏み込みはこうしよう」といろいろ考えますが、本番では何も考えず、雑念を振り切ることに徹しています。陸上は1回でも失敗したらそこで終わってしまう。2度目のチャンスはない。だからこそ、「失敗したらまた何年間か待たなければならない」といったような恐怖感には負けず、ドンと出る。そんな時、一切のちゅうちょがない心理状態に入って「行けえ!」と勢いよく突き進めるかどうか、それが重要なんです。
自分の成功は自分で決める
工藤:プロ野球の世界も成績を残さなければ、いつクビになるか分からない厳しい世界ではあります。まして五輪は4年に1回。その一発勝負に向けてメンタリティやモチベーションのピークをどうやって調整するのか興味があります。
為末:五輪までの4年間、何をやっていくのか計画を立てていました。大きな目標と、数カ月単位の適度な目標を掲げ、頭の中で使い分けるようにしていた。28歳のころ、この精神状態では今後のモチベーションのペース配分がうまくいかなくなると感じて、あえてハードルを跳ばない年を作りましたね。
工藤:その発想はどこから? 怖くなかったですか。
為末:ハードルも足が速い方が有利なので、走りのベースを強化すれば、もっと高みにいけるのではないかと、期待の方が勝って平気でした。
工藤:スポーツはどうしても結果が伴う世界。でも、選手のそういった目に見えない試行錯誤や切磋琢磨(せっさたくま)がもっと評価されてほしいと思います。
為末:そうですね。ただ僕も結局、金メダルという目標には届かず引退しましたが、陸上でやり切ったこと自体が報酬だと受けとめています。
工藤:引退した直後ってどんな感じでしたか?
為末:いざ引退して1カ月くらいは真っ白(笑)。スポーツの世界はやるべきことが明確です。試合で勝つことがすべてで、金メダルを取れば世の中の評価も上がる。でも一般社会では違う。自分の成功は自分で決めなければならないし、レースも一つじゃない。僕は何を目指せばいいのか、今度はどのレースを選ぶべきなのか分からなくなり、考え込んでしまいました。
工藤:僕は投げられなくなった時、家族が辞めてと言った時、投げる場所がなくなった時に引退と決めていました。だから西武から戦力外通告を受けても、まだやれると思い、自主トレをしていたのですが、その矢先に東日本大震災が起きて。
為末:それが転機に?
工藤:そうです。被災地へは引退前、4、5回行き、野球教室を開催しました。仮設暮らしの子も多く、最初は表情を崩さなかったのですが、やがてどんどん元気な笑顔になっていく。これだと思いました。ひじの故障など自分の悩みなんてどうでもいい、今僕がやるべきは、この子たちのために球を投げることだ、と。そこで引退を決めました。
為末:現役への未練は?
工藤:なかったです。次に自分がやるべきことがそこで明確に見えたから。実は2014年4月から、筑波大学大学院でスポーツ医学を学びます。野球教室の子供たちの半数近くが肩やひじを痛めた経験があるという話があり、その予防法などを研究する予定です。29年間お世話になった野球界への恩返しになればいいなと考えています。
工藤 公康
1963年愛知県生まれ。1981年に西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に入団。11度のリーグ優勝、8度の日本一に貢献。以後、ダイエー、巨人、横浜を経て2011年、29年の最年長記録(当時)で現役引退。現在はプロ野球解説者として活躍。全国各地で少年野球の指導にも携わる。2014年4月から筑波大学大学院に入学し、スポーツ医学を研究する予定。近著に「折れない心を支える言葉」(幻冬舎)など。
為末 大
1978年広島県生まれ。2001年、2005年の世界選手権・男子400メートルハードルで銅メダル獲得。スプリント種目で2つのメダル獲得は日本人初。オリンピックは3大会連続出場し、2012年に現役引退。現在は陸上競技の普及に努めると共に、一般社団法人アスリートソサエティ、為末大学を通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行う。近著に「諦める力」(プレジデント社)など。