いつでも心の真ん中に「好きなこと」があった
加藤:2013年6月に東京ドームで行った、僕たちファンキーモンキーベイビーズ(ファンモン)の解散公演に来ていただいたんですよね。
寺川:楽曲「ちっぽけな勇気」のころから、元気をもらえるファンモンの音楽が大好きなんです。現役時代は移動中も聴いていたし、海外遠征先ではライブDVDをよく観(み)ていました。
加藤:ありがとうございます。音楽を始めた原点に「誰かの力になりたい」という思いがあるので、その人の思い出や記憶に僕らの音楽が残っているという話を聞くとすごくうれしくなります。
寺川:音楽との出合いは?
加藤:中学生のころ、思春期をこじらせてモヤモヤしていた時期があったんです。そんな後ろ向きな毎日の僕をまさに「希望の明日」へ導いてくれたのが音楽。だから自分がミュージシャンになったら人を励ましたい、という気持ちがずっとありました。寺川さんの思春期はどんな感じでしたか?
寺川:思春期!? 泳いでいた記憶しかない(笑)。友達とも遊んでいないんです。
加藤:3歳からずっと続けてきたんですよね。
寺川:それができたのは、泳ぐことが好きという思いが常に私の真ん中にあったからだと思います。
加藤:水泳のどんなところが好きなのですか?
寺川:たった一人でプールに潜った時の、あの音のない感じや、反対に自分が懸命に泳いでいると分かる時の水の音が好き。それと、基本的に一人で頑張る競技なのですが、必ずそばに仲間がいます。ぱっと見では分からない魅力がたくさんあるんです。
加藤:他のことをしたいと思ったことは?
寺川:中学の時、陸上もいいかなと、少しだけ。
加藤:どのみちスポーツなんですね(笑)。じゃあ本気で五輪を目指したのは?
寺川:高2の時、世界選手権の代表に選ばれてから。そこからかなり現実的に考え始めました。
加藤:僕が本気で音楽を志したのは24歳の時です。寺川さんと比べたら随分遅い。実は高校卒業後、一度就職したんです。でも、社会へ出る覚悟もないままのバイト感覚で、結局1年で辞めた。それ以降、音楽を人生の逃げ場にしていました。夢を言い訳にフリーターを続けて。あのころは悶々(もんもん)としていた。
寺川:それが本気モードに変わったのは?
加藤:弟の結婚がきっかけです。子供ができて家も建てて。直後に兄貴も結婚したのですが、その時の両家顔合わせを「用事があるから」と逃げた。自分が相手の家族にどう思われるのかが怖くって。でもその時、自分で自分の人生を否定したような悲しい気持ちになり、ミュージシャンうんぬんの前に男として誇れる日々を過ごさないとダメだと思い、気持ちを入れ替え、プロを目指したわけです。
悔しさを新たな力に変える
加藤:アスリートは、完全に白黒をつける勝負の世界にいますよね。だから本番試合前の緊張感なんて僕らの比ではないと思う。実際はどんな精神状態なんでしょう?
寺川:私は多分珍しい方だと思うのですが、緊張したいタイプなんです。
加藤:すごい。緊張をほぐそうとするどころかむしろ望むところだ、と。
寺川:練習の時も、試合用の水着に着替え、これがもし五輪の決勝だったらどういう精神状態でいたらいいのかと考えながら泳ぎました。緊張を力に変える練習です。
加藤:全然違う(笑)。僕らなんてリハーサルはいつもダラダラですから。ただ僕も、緊張している方がより良いパフォーマンスができているとスタッフからは言われます。
寺川:04年のアテネ五輪では超緊張し、直前に食べたものも覚えてなかったし、手も震えたままで決勝へ。レース前から泣いていたらしいのですが、自分では気づかなかったほどでした。
加藤:そこまでいくと良くない緊張ですよね。
寺川:そうなんです。だからそれ以降は試合に優劣をつけず、どんな大会でも意識的に緊張するようにした。お陰で緊張感を本領発揮につなげられるようになりました。
加藤:なるほど。ところで現役時代の転機は?
寺川:北京五輪で代表落ちした後、多くのメダリストを育てた平井伯昌(のりまさ)コーチの元へ移ったことです。最初は断られたのですが何度も直談判し、指導を受けさせてもらえるようにしました。
加藤:そこまでしたのは?
寺川:平井コーチに教わった選手はメダルを取り、世界記録も出している。何か秘密がある気がしたんです。
加藤:それと、北京五輪へ行けなかった悔しさも?
寺川:あの時は代表になれなかったことよりも、結果だけで勝手に引退と思われたのが悔しくて。いつも応援してくれていた人にまで「長い間お疲れさま」と。
加藤:それはきつすぎる。
寺川:自分の人生を人に決められたくない、言われたくない。でもそう言われるのは、結局私が結果を出していないから。だったら次は絶対結果を残してやる。そう自分と約束し、平井コーチの門戸をたたいたわけです。
加藤:悔しさって新たな力をわき立たせますよね。僕らもデビュー直前の大阪ライブで、プレッシャーから関西弁でお客さんをいじり、見事にスベりました。翌日は北海道。小手先で何かやっても仕方ないと腹をくくり、全身全霊で歌ったらうまくいった。結果的にファンモンならではの歌唱スタイルもそこで確立できた。とは言えあの時のことはいまだに悔しい(笑)。
寺川:アハハハ。でも私、加藤さんのアリーナいじり、すごく好きですよ。
加藤:関西人の寺川さんにそう言ってもらえてようやくホッとしました。
リーダーが語る、アシタを開く言葉
ファンキー加藤さん
「完全熱唱」
僕が作った造語です。いつ、どんなライブにおいても全力で「完全熱唱」する。それが信条であり、大事にしていることです。
寺川綾さん
「一期一会」
水泳を通して本当に多くの人に出会えたことがうれしい。これからも一つひとつの出会いを大事にしていきたいので常にこの言葉は自分の中にあります。
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2014年3月6日(木)23:59
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ファンキー加藤
1978年東京都生まれ。2004年ファンキーモンキーベイビーズを結成し、06年「そのまんま東へ」でメジャーデビュー。13年6月東京ドームにて解散公演。14年2月シングル「My VOICE」でソロデビュー。2月14日からはドキュメンタリー映画「ファンキー加藤 My VOICE~ファンモンから新たな未来へ~」が全国公開となる。9月には日本武道館での初ワンマンライブが決定。
寺川 綾
1984年大阪府生まれ。3歳から水泳を始める。高校2年時に出場した福岡世界水泳選手権で注目を浴び、2004年アテネ五輪200メートル背泳ぎで8位入賞。07年ミズノ(株)に入社。08年北京五輪代表に漏れるも09年から名将・平井伯昌コーチに師事し復活。12年ロンドン五輪100メートル背泳ぎと400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得。13年バルセロナ世界水泳選手権で銅メダル獲得後、現役卒業を表明。