

やってダメでもいいと潔く覚悟してみよう
太田:田中さんと最初に出会ったのは2年前。うちの芸能事務所に所属する、お笑いコンビの爆笑問題が司会を務めるテレビ番組「サンデージャポン」の時でしたね。
田中:そうです。私も出演させていただいていて。印象深いのは、山梨ロケで私が躍起になって現場を仕切っていたら、後で「そんなに頑張らなくても大丈夫。チャキチャキしない方があなたの良さが出るわよ」って光代さんが言ってくださったこと。
太田:あなたのような「愛されキャラ」は、ムードメーカーに徹した方がスタッフも仕事しやすいと思ったから。ところで、そもそもなぜアナウンサーに?
田中:子供の頃、海外で暮らしていたので、通訳や翻訳など英語の仕事に興味があったのですが、大学時代、周りに「アナウンサーに向いているかも」と言われ、意識し始めたのがきっかけです。光代さんはなぜ社長に?
太田:小さい頃は医者になりたくて必死で勉強したけれど、無理だと気づいて結婚が夢に。小4から花嫁修業で料理教室へ通っていました。
田中:花嫁ですか。今の光代さんからは想像できない。

太田:女子の就職が厳しい時代で、幸せになるには結婚しかないと思って。高校卒業後、当時付き合っていた年上の彼と結婚する予定だったのですが、彼の両親に20歳まで待てと言われ、その間にモデルのアルバイトをしていたら忙しくなって、仕事を優先し続けた結果、23歳で破談。もう本気で働くしかないと芸能事務所の太田プロダクションに入り、タレントを始めました。その時の同期が爆笑問題。太田光とそこで出会い、26歳で入籍しました。
田中:光代さんの20代前半での経験に、28歳の私がまだ全然追い付いていない(笑)。
太田:でも、そこからが更に大変。爆笑問題がいきなり太田プロを辞めてしまったんです。芸能界で絶対やってはいけない不義理を犯し、彼らは仕事を失いました。
田中:それで光代さんはどうされたのですか?
太田:太田は普通の仕事ができない人だったので私が稼ぐしかなく、タレントの傍らコンビニでバイトも。3年後ようやく太田プロに戻れそうだったのに太田が「戻らない」と言い出して。他の事務所に所属したらまた問題が出る。だったら私が事務所をやるしかないと覚悟してタイタンを立ち上げたわけです。27歳の後半でした。
田中:どうしてそんな決断ができたんですか?
太田:あのままではマイナスの状態が続くだけで、やるしかなかった。私は何もしないより、やってダメな人生の方が潔くて好きなんです。
田中:私と逆で驚きました。私は危ない橋は渡らない慎重派。「身の丈」がいつも選択基準で、光代さんのように、何の保証もないなかで新しいことを始めようなんていう勇気はなかったです。

欠点も、強みに転じ天職になりうる
太田:田中さんは2014年秋、TBSを退職してフリーに転身したわけですが、これは自身にとってかなり大きな決断だったはず。「もう少し会社員でいたら」と私ですら言ったくらいですから(笑)。一見、気弱に見えるけれど、意外に大胆な面がありますよね。
田中:親にもそう言われていました。こうと決めたら譲らない性格だって。
太田:会社員時代は、どんなことが大変でしたか?
田中:入社直後はつらかったですね。3カ月の新人研修後、担当したのは深夜の映画番組とラジオ番組のみ。一方、女子アナで同期の江藤愛は朝の情報番組に抜擢(ばってき)されて毎日テレビに出ていて。何だか私だけがものすごく後れを取っている気がして焦りました。
太田:その気持ちをどう乗り切ったのですか?
田中:一つひとつの仕事を地道に頑張るしかないなと。例えばラジオは週1回のスポーツ番組でしたが、スポーツに関してはまったく無知だったので、野球のスコアを付けたり選手のことを勉強したり。週に何回かしか仕事がないと落ち込むのではなく、準備期間がこれだけあるんだから頑張ろうと気持ちを切り替えました。
太田:基本的にまじめですよね。でも、その実直さ、地道な努力が後々の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍につながっていると思いますよ。
田中:光代さんは、未経験から社長業を始めて実際どうだったんですか?

太田:これがとても向いていたの。私、昔から何でも考え過ぎるクセがあってそれが大嫌いだった。でも社長ってアイデアを出すのが仕事なんですよね。あれこれ考えてもそれが一切無駄にならない。欠点だと思った性格が見事に強みに転じて、天職になった感じでした。
田中:社長になって自分が変わったと思う点は?
太田:気づいたらやけに強い女になっていました(笑)。昔の私を知る人は驚いていると思います。もともと芯は強い方ですが、以前は人に甘える気持ちが強かったから。
田中:最近は更に、ハーブやアロマの専門店なども経営されていますよね。
太田:30代後半からホルモンバランスが崩れ、何となく調子が悪い状態が続いたんです。休めないので、仕事をしながらリラックスできる方法はないかと探していてたどり着いたのがアロマとハーブティー。知れば知るほど詳しく勉強したくなったし、同じ悩みを持つ女性たちに伝えたいと思って事業にしたわけです。
田中:常に向上心を持って何かを学び、自分を成長させている。思い立つとすぐ行動し、形にしてしまうところもすごい。忙しくて時間がないはずなのに、私の相談にも親身に乗ってくださるし。
太田:若い人たちの悩みを聞くのも私の仕事。それに、聞きながら私の方が新たな発見や気づきをもらっていることも案外多いんですよ。
(続きは2月20日(金)公開の後編で)

リーダーが語る、アシタを開く言葉
太田光代さん
「光の月は光代」
夫の太田光だけでなく、所属タレントすべてが私の光。一人ひとりをどうやって輝かせるかを考え、行動するのは私の使命であり、役割。光代は私の名前ですが、ここでは「光(タレントたち)の代表取締役」という意味も掛けています。

田中みな実さん
「日進月歩」
「日進月歩」には「進歩の度合いが急速である」、すなわち「急成長する」という意味があります。少しずつではなく、今年は急成長したいと思っています。

キボウノアシタ読者プレゼント

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応募締め切り:
2015年3月5日(木)23:59
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※ご入力いただいた個人情報は、当選者への連絡、景品(賞品)の抽選・発送の目的以外で使用することはありません。
※ご応募はお一人さま1回限りとなります。
太田光代

(株)タイタン代表取締役社長。1964年東京都生まれ。90年漫才コンビ「爆笑問題」の太田光さんと結婚、93年に芸能事務所タイタンを設立。社長として数多くのタレント、構成作家、社員を抱え、多忙な日々を送る。ハーブ、アロマの専門店、生花店なども経営。著書に『私が「にんぎょひめ」だったころ』『爆笑夫婦問題』『独走』など。
田中みな実

フリーアナウンサー。1986年生まれ、埼玉県出身。青山学院大学文学部卒業後、2009年TBS入社。『サンデージャポン』『爆報!THEフライデー』などを担当。14年9月末に退職し、フリーランスへ転身。現在、『有吉ジャポン』『ジョブチューン〜アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』(TBS)、『ニュースな晩餐会』(フジテレビ)といったレギュラー番組を持つ。