とにかく目の前のことを全力で――。岩崎さんが『サイゾー』編集長の座に駆け上がる礎となったもの
私が会社を辞めようと思った瞬間
2015.11.26

芸能ゴシップから経済ネタまで、独特の切り口で記事を展開する月刊『サイゾー』の3代目編集長に就任して、6年。もともとは「編集という言葉すら知らなかった」という岩崎さんにとって、これは学生時代にはまったく想像できなかった立場なのだそう。
「月刊誌の編集業務というのは、実はすごくしんどいポジションなんです。もし、掲載した記事に対してクレームがついたり、何らかのトラブルが発生したりしても、週刊誌なら一週間で気持ちを切り替えることができます。でも月刊誌の場合、何かヘコむようなことがあると、下手をすると1カ月も引きずらなければなりませんからね(笑)」
現在の立場をそうネガティブに表現する岩崎さんですが、その言葉の端々からは、自社の看板雑誌を背負う強い責任感がうかがえます。
では、岩崎さんはなぜ、さほど関心のなかった出版の世界に飛び込んだのか。まずはその経緯からお聞きしましょう。

たまたま見つけた求人がきっかけで編集の世界へ
「もともと勉強はさっぱりできない子どもでした。なにしろ偏差値的には底辺の高校の中で、最も学力の低いクラスが定位置。それでも一丁前に都会へのあこがれだけは強かったので、二浪してなんとか東京の大学に滑り込んだんです」
大学生活はそれなりに謳歌(おうか)したものの、4年生になっても就活にはあまり熱心ではなかったという岩崎さん。卒業後、編集プロダクションに勤めることになったのは、たまたま新聞で求人を見つけたことだけがきっかけでした。
「それまでミニコミはおろか、学校新聞すら作ったこともありませんでしたから、特に強い志望動機もなく、何気ない気持ちで面接を受けに行ったんです。そこで、大学時代にアメリカ留学を経験したことが幸いして、“ちょうど英語教材を作る仕事があるから”と拾ってもらえて。……もっとも、僕の英語はスラングばかりで使いものにならず、すぐに雑誌の現場に回されてしまいましたが」
ともあれ、これは将来を分ける1つの転機でした。週刊誌や情報誌で記事の制作を手がけ、編集者として腕を磨いた岩崎さん。昼も夜もなく働く日々は過酷で、「それでも辞めたいと思わなかったのは、単純に仕事以外のことを考える余裕すら失っていたからでしょうね(笑)」と振り返ります。
やがて、次の転機が訪れます。新たに創刊する実話系週刊誌の編集部への出向が決まったのです。
「実話系週刊誌というのは、とにかく“生のネタ”を仕入れることが命。生のネタとは、まだどこにも載っていない一次情報のことです。それまでは企画会議の席でネタをひねり出すだけの使いものにならない編集者でしたが、諸先輩方や同期、後輩のアドバイスから、足を使っていろんな人に会いに行くように心掛けました。こうして情報を集めて回るのは、意外と性に合っていましたね。体力的にはますます大変になりましたけど、どんどんネットワークが広がっていくのは楽しかったです」

担当媒体の休刊と共に、退職を決意
これが後に、『サイゾー』編集長としての下地につながることは言うまでもありません。新たな現場は、岩崎さんにとって格好のスキルアップの場だったのです。
ところが、この実話系週刊誌は2年ほどで休刊。それと同時に、岩崎さんは退職を決意します。
「会社に対して、0から育ててもらった恩義は感じていました。しかし、気がつけば20代も終わりに近付き、毎日寝るためだけに家に帰る生活に、すっかり疲弊していたのも事実。それに、もともと入れ替わりの激しい業種ですから、6年勤めて“ここでやれることは、すべてやりきった”という気持ちもありました。正直、辞めることに迷いはなかったですね」
いわば、ちょっとした燃え尽き症候群の状態にあったと言う岩崎さん。このままメディアの仕事を続けていくにしても、そろそろ何か新しいことがやりたい――。そう考えた時、担当媒体の休刊は、会社に迷惑をかけずに辞めるベストなタイミングだったのでしょう。
退職を決意すると、週刊誌の現場でネットワークを築いていた岩崎さんのもとに、すぐに転職話が舞い込みました。
「知人から、『サイゾーが人材を探しているよ』と声を掛けられ、当時の編集長に会いに行ったんです。すると、それまでに培った実話系週刊誌のノウハウを買ってもらえて、話はトントン拍子にまとまりました」

目の前のことに120%打ち込んだ結果、今がある
果たして、『サイゾー』という新天地は、実話系週刊誌で鍛えられた岩崎さんにとって、うってつけのフィールドでした。豊富な情報ネットワークを武器に、「下世話な記事」(本人談)を連発し、これが度々話題に。岩崎さんの加入は、間違いなく、『サイゾー』に新しい風を吹き込んだように見えます。
その後、副編集長、編集長と役職を駆け上がった岩崎さん。編プロから出版社の管理職への出世は、非常に稀なケースと言えるでしょう。その秘訣を、岩崎さんは次のように振り返ってくれました。
「結局、あまり余計なことを考えずに、ひたすら目の前のことに120%打ち込んだのが良かったのでしょうね。少なくとも30歳くらいまでは、とにかく他人の何倍も働くんだという意気込みを持つべき。全力で頑張っている人は大勢いるでしょう。でも、そこで更に“もう少し”を頑張れるかどうか。それによって、間違いなく40代で差がつきますからね」
クオリティ・オブ・ライフが重視される昨今ですが、時には泥臭く、時には体当たりで自らのキャリアと向き合うことも大切なのかもしれません。
(友清 哲+ノオト)
取材協力/岩崎 貴久

1974年、広島県出身。桜美林大学経済学部卒業後、編集プロダクションに勤務。雑誌や書籍の制作に携わった後、株式会社インフォバーンに入社し、月刊『サイゾー』編集部に配属。07年、『サイゾー』や『日刊サイゾー』などを運営する出版部門がインフォバーンより分社独立し、株式会社サイゾーを設立。その後、2009年に編集長に就任し、現在に至る。
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