この投稿はsenjin holdings取締役の増田がどのような人生観で生きているかを記したものです。闘病生活の中で感じたことを全3回に渡って記していきます。
もしこの価値観に共感してくれる人がいたら連絡ください。一緒に仕事したいです。
今回で最終回です。 =====

3.幸福の大きさ=認知力の高さ



ガンになってから一度だけ泣いたことがある。というより泣いてみたことがある。
あまりにも物事が急ピッチで進むので僕は泣く状況を見つけることができていなかった。だがドラマでみる「親に隠れて1人で泣く」という大和魂に憧れを感じていたのが高3の僕。試しに部屋にこもって泣いてみることにした。
驚くことに、想像してみると意外と自然と涙ができた。深層心理にはきっとそういう不安もあったからだろう。だけどすぐ飽きた。泣いても頭と鼻が痛くなるだけだったからだ。
このときに気がついたことは死がチラついた局面でも人は意外と冷静であること、そして悲観的になる能力も持ち合わせていることだった。
例えばこんな経験がないだろうか?親と喧嘩してイライラしているところに友達から電話がかかってくる。すぐ話は終わり電話を切ると、またイライラに戻るけどなんで怒ってるかは忘れてしまう。僕も昔はよくあった。この状況を分析すると、友達からの電話はハッピー(を装えるくらいには)に対処できるくらいには冷静だが、イライラした感情が先行している状態だ。そして今思うと非常にもったいない。なぜならイライラしても状況は改善しないどころか、相手に不快感を与えて状況が悪くなるからだ。
病気の話に戻そう。確かに病気は回避ができないし、死ぬ可能性や思っていた人生とは違う方向に進む可能性はかなりある。だけど悲しむことで状況は好転しないどころか、生きることや思い通りの人生を歩むことに反する行動な気がしたのだ。人は大変想像力が豊かな生き物だからいい可能性から悪い可能性まであらゆる想定ができる。これはすごい能力だ。危機を想定する能力は危機の回避に大いに役立つ。ただ僕は、事実はただ事実として受け止めて感情は自分が思うようにコントロールすることを提案したい。それは不可避な状況はどうあがいても不可避だから自分の都合のように解釈した方が生きやすいからだ。
例えば、毎日の食事だってそうだ。僕は去年の夏に無人島に何泊した。
食べ物は持って行かず、釣竿と水だけ。取れる魚は明らかに食べることができなさそうな熱帯魚のみ。スコールと強風に揉まれて体力を少しでも温存するためひたすら空を眺めて横たわる。流れてくる雲にドーナッツに似てるものを何個も探した。そんな飢餓状態の中、本土に帰還して最初に食べたのが野菜のお浸しに感動した。食べれる草なんか一個もない世界からいっぺん、数ヶ月かけて畑で野菜を育て、海から塩をとり土で大豆を育てて一生懸命加工した醤油と和えるなんてなんて贅沢なことか。水分に滴る野菜と濃い醤油の味に涙が止まらなかった。食事はどうあがいても誰もがする。だからこそ、この行為に毎回感謝して美味しいと感じることはどれほど幸せなんだろう、と気がついた瞬間だった。
**幸せは常に転がっている。**食事もそうだし、人間関係もそう。幸せな人と幸せじゃない人の違いは世界をどう認知しているかの違いでしかないのだということに気がついた。「幸せになりたい!」と思ってる人は、すでに幸せなのにそれを認知していないだけ。地位や名誉とは一切関係ないものなのだ。


そして、これが僕が今会社をやっている理由に繋がる。例えばそこに立っている木を想像してみて、「もしその木の種類を知っていたら?」「もし葉っぱ一つ一つの違いに気がつけたら?」目の前にあるただの木がもっともっと美しく見えるはずだ。僕は会社をやることでもっと多くのことを知って、目の前に存在している世界というものをもっともっと美しいものだと認知できると思うのだ。幸せの大きさとは認知力の高さなのだから。
終わりに
以上、僕がガンとの闘病生活を経て感じたことを書きました。ガンになった瞬間は人生詰んだと思ったけど、こう考えるとガンになって良かったとすら感じます。応援してくれた人たちのおかげですね。感謝。これからもいろんなことに挑戦して、できること・気がつけることを増やしていくのが今の僕の役割だと思っています。
===== 以上、全3回をご覧いただきありがとうございます。
もし僕と一緒に働いて幸せを大きくしていく意思に賛同してくれるひとがいたら、ぜひ連絡ください。 twitter:https://twitter.com/Yoh_Masuda senjinのホームページ:https://senjinholdings.com/ senjinの中途募集: https://tenshoku.mynavi.jp/jobinfo-305264-4-1-1/