【シンガポールでの仕事】日本の文化・料理を海外へ。シンガポールで挑み続ける寿司職人

【シンガポールで働く! インタビュー】第1回:橋田建二郎さん
路上アーティストの夢を持っていた寿司職人の橋田さん。アメリカ留学をきっかけに、日本文化・日本料理を海外に広げたいとシンガポールで活躍している橋田さんに、シンガポールでの仕事など話を伺ってきました!

路上アーティストになるはずが老舗寿司屋の二代目に

プロフィール
シンガポール在住・寿司職人
  • 名前:橋田建二郎(はしだ けんじろう)
    「Hashida "hatch" Kenjiro」
  • 年齢:38歳
  • 在住都市:シンガポール
  • 在住歴:4年
  • 仕事内容:寿司職人

高校卒業後、専門学校にて日本料理の基礎を学ぶが、卒業後は路上アーティストとしてペインターの道へ。渡米し英語を学んだのち、海外の方に日本の文化・料理を楽しんでもらうため、ケータリングで各国の方に寿司を披露したり、大使館シェフとのコラボレーションイベントなどの活動に励んでいました。

その中で、シンガポール人のパートナーに会ったのがきっかけで、2013年にシンガポールの「はし田」をオープン。オープン時より、シンガポール国内のアワードを次々に受賞し、シンガポールだけではなく、アジアを代表するレストランの一つとして注目されるようになりました。そして、2016年に「はし田」の二代目に就任しました。

地道なリサーチと枠にとわれない発想で現地に受け入れられるお店に

シンガポールの出店は約一年かけて下準備しました。パーティーで友人に寿司を握ったり、料理を出して現地の方の“味覚を知る”という作業をしました。オープンしてからも3カ月の間に、2回醤油の味も変えています。日本の寿司が現地に定着したのではなく、「はし田」という店がシンガポールに馴染んでいったと言う気がします。

「はし田」寿司

また、日本にいた際に、海外の方との接点のなかで、彼らにとっての「デザート」の重要さを感じました。日本だと寿司とデザートなんて、考えられないかもしれませんね。

そこでデザートの勉強をして披露した「和のテイストのマカロン」が人気となりました。最近では「マーライオン最中」を作成し、シンガポールのナショナルギャラリーでも販売するまでになりました。

文化の違い 食文化の違いは大きいです。ですが、食べる事に関して海外の方は「食事を楽しむ」ということを知っているような気がしましたね。

「はし田」シンガポールの外観

海外で活躍するためにはグローバル思考と自己分析がポイント

日本料理だけではなく、海外で活躍しているシェフはたくさんいます。情報が溢れ、世界がどんどん狭くなっている分、日本だけで見るか、日本をアジアの一つと考えるかで大きな差が出てくると思います。

「はし田」シンガポールの内装

「はし田」のシェフたちは、考え方が少し前からグローバルになって来ています。海外でやっていく上でポジティブな考えでいる方が良いと思います。

自分が「どうあったらハッピーに働けるのか?」これに正面からぶつかっていくと、本当の自分が見えてくると思います。人によって、給料やお金、凄腕シェフの下で働くなどキャリアで決める。家から近いからなど、色々な理由があると思います。最終的には、自分は何がしたいのか? そこに向かって行くためには「現実」と「自分のしたいこと」のバランスだと思います。

「はし田」シンガポールの一品

お客さま以上に常に情報収集を心がけつつ、次のステージを目指す

シンガポールは2013~15年が出店のオープンラッシュでした。シンガポールだけではなく隣近の国からもお客さまが来ます。お客さまたちは日本に詳しくて、こちらが勉強していないと“うっかり”という場面が多々あるので、スタッフ一同随時アンテナを張っています。

日本の文化、食材を誇りに思い、それを次の世代にどう伝えるか? お客さまにどう伝えるか? 自分と戦いながら道を切り拓いてもらいたいです。僕も次のステップ、次のステージに向かって頑張っています。

「はし田」シンガポール
この記事を書いた人
シンガポール特派員サムネイル
元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター/アナウンサー。シンガポールのテレビ局勤務後、地元ラジオや雑誌、ウェブサイトなどでシンガポールのレストラン情報を紹介。紹介したレストランはのべ300軒。アナウンサーとして以外にも、地球の歩き方シンガポール特派員、ライター、フォトグラファー、動画制作、インバウンドイベントや雑誌取材のコーディネーションなど幅広く活動している。趣味は海外秘境旅行、キリマンジャロ登頂他、約40カ国以上。

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