第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.56プロフィギュアスケーター 荒川静香
自分に負けたくない
Heroes File Vol.56
掲載日:2011/7/29
今も多くの人々の脳裏に焼き付く、トリノ五輪での荒川静香さんの金メダルの舞い。あれからプロに転向して6年経った今、彼女のこれまでのスケート人生において大舞台で力を出し切るために心身共に訓練してきたこと、またプロスケーターとしての現在の活動などについて語ってもらった。
Profile
あらかわ・しずか 1981年東京都生まれ。プリンスホテル所属。2004年世界選手権で優勝。2006年トリノ五輪でアジア初のフィギュアスケート金メダルを獲得。同年5月にプロ宣言し、現在は国内外のアイスショーを中心に活躍。8月26日(金)~28日(日)に自身プロデュースの「フレンズオンアイス」が新横浜で開催される。
続く課題に、飽きる暇がなかったスケート
アジア初のフィギュアスケート五輪金メダリストである荒川静香さん。プロに転向して6年目の彼女は、アイスショー出演やスケート番組の解説などさまざまな活動に挑んでいる。
そんな彼女がスケートを始めたのは5歳の頃。当時水泳、エレクトーン、バレエなど多くの習い事をしていた。「両親は、習い事を始めるのもやめるのも全て私に決めさせました。例え失敗が見えていても、それを見守り、私が自分で答えを見つけられるようチャンスを与えてくれたんですね。また、私は課題をクリアするとすぐに飽きてしまいがちだったのですが、スケートでは次から次へとコーチが課題を与え続けてくれて飽きる暇がなかったんです」
一人っ子のせいか人との競争に興味はないが、自分に負けたくない性分で、難しい技もできるまで練習し、小学生で3回転ジャンプを全て跳び、天才少女と呼ばれた。その後、海外の試合やシニアの大会にも出場。そんな彼女の初めての挫折は、15歳で国際大会に補欠として派遣された時だった。
内面の伝え方を考えコンプレックスを解消
「とても屈辱的でした。補欠だと選手のIDがないので会場に入れず、食事券ももらえなくて頼まれるのは雑用ばかり。この体験で、試合にいくなら正選手として堂々と行きたいと強く思うようになりました」
高校生で参加した長野五輪は目の前のことに追われるうちに13位で終了。大学は自分の将来の道を探す4年間にしようと自己推薦入試で入学。スケートと家事、授業、アルバイトをこなす多忙な生活ながら、同年代の友人と親交を深める日々は充実していた。ただ、スケートは大きな大会に出場してはいたものの順位が振るわず、ソルトレークシティー五輪の代表からもれ、引退も考えた。
「実は20歳でスケートをやめようと決めていたんですが、本当にこのままやめても悔いが残らないかを深く考えた結果、心が引き戻された。そこからアスリートとして戦うことを真剣に考え始めました」
大学3年の時にはニコライ・モロゾフコーチの教えを受け、欧米選手に抱いていた表現力のコンプレックスを解くことができた。表現力とは、内面の伝え方を考えることだと教えられ、与えられた振り付けを自分なりにどう消化するかが、みるみる楽しく感じられていく。そしてその後に米国で見たアイスショーが運命を変えた。
「プロになった有名な選手たちが集うすばらしいショーを見て、自分もその世界に入りたいと思いました。そのためには彼らのように大きな大会のタイトルを持ち、知名度を上げることだと、初めてタイトルを狙う目標を持ったんです」
感謝の気持ちと安堵感でいっぱいのトリノ五輪
2004年の世界選手権で初優勝。それまで具体的な目標はなかった荒川静香さんだが、目標を持ち努力したことで結果が大きく変わっていった。本人はこれで引退するつもりだった。でもトリノ五輪を2年後に控え、スケート界やマスコミの期待は大きく、現役を続行することに。だがこの後、採点法が変わることでそれまでのスケートの概念では戦えず、ルール変更への挑戦を強いられる。「20代で難易度の高い新しい技を習得するのはとても苦しいことでした。でも限界までやりもせずに『できない』とは言いたくなかった」
本番のプレッシャー対策では、演技中に余計なことを考えないように一つひとつの動作の時に考えることを決めて臨んだという。結果、荒川さんは見事金メダルを獲得する。
「演技中は今まで関わってくれた方々がフラッシュバックし、感謝の気持ちで心が温かくなって自然にあの表情が出たんです。終わった瞬間は競技者としてのゴールテープを切れた安堵(あんど)感でいっぱいでした」
実力を最大に発揮するための秘訣(ひけつ)を聞くと、「実は本番で最大限に力を出そうとは全く思っていませんでした。逆に、本番は最小限になっても大丈夫なくらい練習を積んだことが大事だったと思います。以前タチアナ・タラソワコーチが、事前に最大限の努力をした者だけが五輪を楽しめると言った意味がよく分かりました」
好奇心を持って活動を広げ子供たちに夢を与えたい
プロに転向後は、声のかかる仕事は全て挑戦する意気込みだ。念願のアイスショーでも世界中から招請されている。そして驚いたことに、彼女は今も引退前の技術を全て保持しているのだという。「いろんな意味で私はスケーターとして自分の最高点を見つけたいんです。技術保持は、演技する時に心にゆとりを持てるから。毎日練習しているのでそれほど大変じゃないんです」
また、彼女は自らプロデュースしたアイスショーを毎年夏に日本で行なっている。
「日本ではまだアイスショーの文化が根づいていませんが、認知度を高めることで、選手の競技人生後の受け皿を広げたり、子供たちに夢を与えたりできればと思っています」
金メダリストになった瞬間の自分に負けぬよう、荒川さんの挑戦は今も続いている。
「最近結婚する友人が増え、私も少し個人としての時間を作りたいのですが、つい仕事に走ってしまって(笑)。金メダリストだからチャンスを頂けることも多いですが、招かれた先でスケートの魅力を感じていただけなければ次はない。金メダルは獲得して終わりではなく、その後に全力で磨き続けるものだと思っています」
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
スポーツなど体を動かすことの素晴らしさを伝える仕事をしたいと思います。または、子供の時からデザインをすることに興味があったので、ジュエリーや洋服のデザイナーですね。
人生に影響を与えた本は何ですか?
歴史に関連した雑学が好きだったのですが、中学生くらいの時に読んだ「聖徳太子は蘇我入鹿である」(関裕二著)という本は面白かったですね。 教科書に書いてある歴史がすべてではなく、さまざまな説が存在するならば、信じて学ぶのではなくフレキシブルに踏まえればいいのだと、肩の力を抜いて社会科と向き合うきっかけになりました。また後に行った大学で、社会科学を専攻して興味を持ったことをさらに広く学びたいと思ったきっかけでもあります。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
実はそういうことは一切やっていなかったんです。もし肝心な時にやりそびれたらかえって気になると思って(笑)。 でも1年ぐらい前からアイスショーなどの前に、1回深く深呼吸して、無の状態になるようにしています。一度無になっておくと集中しやすく、呼吸が深くなるので。
Infomation
荒川静香さんの著書が発売中!
「15歳の寺子屋 乗り越える力」
トリノ五輪の金メダリスト、荒川静香さんが、スケートを始めた幼少時からメダルをとるまでの歩みや不安、悩みのこと、またその都度どう乗り越えてきたかなどを綴ったエッセイ。「人生はハードルの連続です。でも、どんなつらい状況でも『イヤだ!』と思ってしまったらそこで負けてしまいます。自分を救うも追い込むも自分次第。目の前に問題が現れるたび、『それなら、どう考える?』と自分に問いかけてきました」といった荒川さんのメッセージが満載。
定価/1,050円(税込)
発行元/講談社