第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.88映画監督 タナダユキ
生きるということをテーマに
Heroes File Vol.88
掲載日:2012/11/23
映像学校で学び、『モル』でぴあフィルムフェスティバルグランプリを受賞。その後『百万円と苦虫女』『俺たちに明日はないッス』などで青春時代の葛藤をリアルに、鮮やかに描いてきたタナダユキさん。今、最も次回作が待たれている映画監督の一人である。彼女はなぜ、全く未知だった映画の世界へ足を踏み入れたのか、そして今どんな思いで映画作りに取り組んでいるのかなどを伺った。
Profile
たなだ・ゆき 1975年福岡県生まれ。初監督作『モル』で2001年ぴあフィルムフェスティバルのグランプリなどを受賞。監督作に『タカダワタル的』『月とチェリー』『赤い文化住宅の初子』、『百万円と苦虫女』(日本映画監督協会新人賞受賞)、『俺たちに明日はないッス』など。最新作『ふがいない僕は空を見た』(トロント国際映画祭正式出品作)が11月17日から全国にて公開中。
痛みを抱えながらも人は生きていくもの
最新作『ふがいない僕は空を見た』のクランクイン前のことだ。タナダさんは激しいベッドシーンがあることを考慮し、主演の田畑智子さんに「不安なことはないですか?」と声をかけた。「何もありません」と田畑さん。即答だった。
「すごく気が楽になったのと同時に、役者さんがそれだけの覚悟で臨んでくれるのだから、こちらも気を引き締めてやらなければと思いました」
原作は作家・窪美澄さんの同名小説。母子家庭に育った男子高生とアニメ好きの主婦の情事を中心に、周囲の人々の苦悩や葛藤を生々しく描いている。タナダさんにとっては4年ぶりに撮った渾身(こんしん)作だ。
「描きたかったのは、結局、人はスネに傷を持ちながらでも生きていくしかないよねということ。抱えている問題を解決してから次に進もうとするけれど、整理がつかないまま投げ出すこともできず、そのまま進まなくちゃいけないことの方が、実は多かったりするんですよね」
もがきながらも自分で動いた20代
幼い頃ドラマ「おしん」を観(み)て、あまりにも悲惨な状況が可哀想で泣きそうになった。
「そうしたら明治生まれの祖母が『こんなの全然可哀想じゃない。ばあちゃんだって毎日こんなんしよったよ』と。ばあちゃんすごいなと思ったのと共に、過酷な状況だからといって安易に可哀想と決めつけるのはよくないと、子どもながらに感じました」
この時の記憶が、自身の根底にある。だから余計な演出はしない。人生賛歌もしない。どんな思いを抱えていても生きていくしかない普通の人たちをあくまでもフラットな目線で撮る。だから時に毒々しく辛辣。登場人物を安易に救うこともせず、そのスタンスは作品作りにおいて一貫している。
10代の頃はあまり映画を観ることもなく、演劇に興味があった。だが上京し、「もしかしたら映像の方が自分の表現方法として合っているかもしれない」と映画学校へ入学。しかし、どうしたら映像の仕事に就けるのかは分からなかった。
「助監督になるとか、人に聞くとかという発想もなく、とにかく自分の作品を撮らなければと思い、自主制作したのが初監督作『モル』でした」
これがぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。タナダさんは「これで仕事がどんどん入ってくる」と思った。が、現実は甘くない。『モル』も宣伝は自分で行い、生活のためアルバイトも続け、他の映像の仕事なども引き受けた。とにかく必死。やれることを手当たり次第やるということしか思い浮かばなかった。
試行錯誤の日々が私を監督に育てた
タナダさんが初めてプロの監督として挑んだ作品『タカダワタル的』。フォークシンガー高田渡さんのドキュメンタリー映画だ。商業映画制作の勉強になると思って受けたものの、気づけば現場で最年少。圧倒的に経験が足りず、百戦錬磨のスタッフにどう接していいのか、監督としてどう立ち振る舞えばいいのか全然分からなかった。
「毎日試行錯誤、つらかったですね。でも私が監督なんだからと途中で腹を決めて、最終形を頭に描いて、そこに突き進んでいけるよう頑(かたく)ななまでに自分の信念を貫きました」
そんな苦労のかいもあり、映画はドキュメンタリーとしては異例のロングランを記録し、東京国際映画祭でも特別招待作品として上映された。
「今思えば貴重な経験でした。そこで学んだのは、自分がこれと言ったことに全責任を取るのが映画監督の仕事だということ。決して好き勝手にできるものではなく、予算や撮影期間など様々な制約も引き受けなければならないし、何を良しとしていくかも決めなければならない。それでもやると言った以上は最後までやる。その覚悟が必要なんだなと思いました」
一つの映画を撮影することが決まってから、公開までの道のりは決して平坦(へいたん)ではない。だからこそ「これが最後かもしれない」と思いながら毎回現場に臨んでいるという。
この仕事しかできない。だからこそ全身全霊で
これまで、砂をかむような思いを何度も経験してきた。それでも、いい芝居が撮れた瞬間には何ものにも代え難い喜びがあると語る。
最新作『ふがいない僕は空を見た』の撮影中も、間近で見ていた役者たちの芝居につい引き込まれ、前に一歩出そうになることが何度もあったという。
「何てぜいたくなことをやれているんだろうって。まさに至福の時でした」。だからやめられない。「というか、社会性がなく他のことはできないから、今はずっと映画を撮り続けていきたいと素直に思います」
この作品では、自分自身への新たな気づきもあった。
「以前はいろいろ気になって何でも自分でやろうとしていたのですが、今回は各スタッフに完全に任せることができたんですね。動じなくなったというか」。撮影中は、夜寝るといつも現場の夢ばかり見ていた。しかも嫌なことばかり。ところが今回は現場の夢を見なかった。「年を取って多少ずうずうしくなったということでしょうか」とほほ笑む。
涼しげなたたずまいで、繊細なまなざしは多くを語らない。しかし秘めた気概が感じられる。今後の作品にも期待したい。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
フリーターですね。社会性がないので他の仕事は多分できないと思います。
人生に影響を与えた本は何ですか?
幼稚園の頃に読んだ絵本『てぶくろ』。ウクライナの民話です。雪の上に落ちていた手袋にネズミが住み込み、他の動物たちも集まってきてみんなで手袋の中に入り、ギューギュー詰めになったと思ったら、最後は人間がやってきて手袋を拾い、みんなバラバラになってしまうというお話でした。一瞬にして温かなものがなくなってしまうのが今思うとすごくシュール。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
撮影前は御祓いに行きますが、特に何も。囚われてしまうと嫌なので、あえてそういう験を担がないようにしています。
Infomation
タナダユキ監督作品
映画『ふがいない僕は空を見た』
2012年11月17日からテアトル新宿ほか全国ロードショー。
2011年本屋大賞2位、第24回山本周五郎賞を受賞した窪美澄の同名小説を原作とし、気鋭タナダユキ監督が4年ぶりの長編作品として手がけた渾身作。主演は永山絢斗と田畑智子。男子高生と主婦の不倫関係を中心に、ごく普通の人々が直面するやりきれない思いや行き場のない感情、そして性への衝動を見事に描き出している。静かな衝撃作の誕生だ。
出演:永山絢斗、田畑智子、窪田正孝、原田美枝子、他
監督:タナダユキ 原作:窪美澄『ふがいない僕は空を見た』(新潮社刊)
脚本:向井康介 音楽:かみむら周平
公式サイト:http://www.fugainaiboku.com