第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.170落語家 春風亭一之輔
場数を踏めば個性が見えてくる
Heroes File Vol.170
掲載日:2017/7/20
この人が高座に上がり、話し出すとたちまち観客は人情あふれる世界へ連れて行かれる。独演会もこの人が出演する寄席はいつも大入り。今、若手の中ではダントツ人気の落語家・春風亭一之輔さん。顔つきも声も体形もあたかも落語家になるために生まれてきたような趣を感じさせる人。そんな一之輔さんがどんな思いで今、落語に向き合っているのか聞いてみた。
Profile
しゅんぷうてい・いちのすけ/1978年千葉県生まれ。2001年春風亭一朝に入門、12年真打ち昇進。高座の出演予定:17年8月11~20日は鈴本演芸場と浅草演芸ホール(交互出演)、9月1~10日は浅草演芸ホール。著書『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』(キッチンミノルと共著)ほか。
艶(つや)のある声が耳心地いい。表情豊かで変化に富んだ落語で観客を沸かせる一之輔さん。昨今の落語ブームの立役者であり、今最もチケットが取れないという若手落語家の一人だ。
千葉県野田市出身。高校時代、部活動をやめて何もすることがなくなった、とある土曜日、たまたま浅草で見た寄席が運命を決めた。「驚きました。高座に上がっている人も見ている人たちも全然ガツガツしていない。何かゆるい空気感。そんな寄席空間が妙に自分の肌に合い、それから月1ペースで通いました」
一浪して日本大学芸術学部に入るが、学業よりも落語研究会の活動が中心の学生生活。「落研は、楽しく愉快にという雰囲気で居心地が良かった。映像関係のアルバイトもしていましたが、さほど興味が湧かず、さりとてほかにやりたい仕事もない。そんなに意識しないまま、やるなら落語家かなと。消去法で選んでいったら一番好きな落語が残ったという感じでした」
そして春風亭一朝に入門。礼儀作法や気の使い方を兄弟子に学び、2カ月過ぎたころに前座となり、一朝師匠が稽古をつけてくれるようになった。「師匠の用事を頼まれるようなことはなく、むしろ『自分の時間を大事に使え』と稽古や、芝居・映画を見るなど、落語に役立つことをするように言われました」
前座の時は師匠がご飯を食べさせてくれるし、寄席やいろんな師匠の前座として働けるので収入があった。だが、26歳で二ツ目に昇進してからはしんどくなる。師匠から離れるので前座仕事がない。自由になった分、収入もなくなった。「奥さんの収入で生計を立て、僕はもっぱら子供の世話と稽古。師匠の『記憶力のある若いうちにできるだけ多くのネタを覚えなさい。今は難しくて手に負えない噺(はなし)でも、年を取ってからしっくりくるから』という教えを守り、とにかくネタを頭にたたき込みました」
場数を踏むことも大事だと考え、覚え立てのネタを披露するための勉強会も相当数こなした。基本どおりに何度も繰り返すうちに自然と自我が出てきて、それが個性となり、自分らしい落語につながっていった。
そうこうするうちに徐々に仕事も増え、メキメキと頭角を現して2012年、21人抜きの大抜擢(ばってき)で真打ちに昇進する。だが本人は「運が良かっただけ」といたって謙虚。「一番は師匠の人徳のお陰。あの師匠の弟子ならっていうことで選んでもらえた。でも運の良さに甘んじていてはダメ。いつも『今がピーク。いつか必ず潮が引く』と、自分を戒めながら落語家をやっているようなところがありますね」
ほどよく頑張る。燃え尽きないように
カメラマンのキッチンミノルさんが1年間、毎月1日に朝から晩まで丸一日密着して一之輔さんを撮り続けた、フォトエッセー『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』が17年3月に発売された。そこには家庭人としてごく普通の生活を営みながらも、真摯(しんし)に、しかし楽しみながら落語と向き合う一之輔さんの姿がそのまま写し出されている。
「落語なんて、命を懸けてやるほどの仕事じゃないですから」とぶっきらぼうに語るが、実際は年間350日、約900席もの高座に立っている。落語界でもかなり多いほうだ。
「落語は飽きない。それに寄席が好きなんですね。落語家にとってホームグラウンドだけど、アウェーでもあるところが。トリを取ってもお客さんは自分目当てとは限らない。しかも初めて落語を聞くという人も多くいます。そんな人たちが自分の噺(はなし)を聞いて思い切り笑ってくれる。落語家冥利(みょうり)に尽きますよ」
落語家は、高座では客層を見てどの演目にするかを決めるという。更に一之輔さんは、しゃべりながら登場人物のキャラクターを変えてしまったり、現代のギャグを大胆に入れたりすることも多い。
「ずっと同じ演目を高座にかけていると、この登場人物はこういう考え方をしてもいいんじゃないかと思って、違うセリフを言ってみたり、自分だったらこうリアクションするかなと思い、それまでとは違う表情をさせてみたり。落語はオチを変えてもいいんです。大事なのはその演目に対する自分の思い入れと伝えたいという意思。古典落語を守りながらも、そこにどう自分の思いを乗せて、どんな色をつけるか。そこが腕の見せどころです」
真打ちになって5年。ただただ走り抜けてきた。挫折や転機を感じる暇もないほどに。そして「高座に上がっていないと体がおかしくなる」ほど、落語は日常生活化しており、仕事という意識はまったくないという。その一方で、最近はテレビやラジオへの出演、新聞連載、書籍の出版やインタビュー取材など仕事の幅も広がってきた。
「数年前から落語以外の仕事が入ってきて、自分が落語を世間に広める窓口的なポジションにいるように思えてきました。だから、どんな仕事も受けるようにしています」
風格があるせいか、かなりのベテランに見えるが実はまだ39歳。一貫してあるのは「できれば死ぬまで毎日高座に上がっていたい」という思い。そのためにこれからも燃え尽きない程度に、ほどよく頑張っていくつもりだ。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
子供のころは社会の先生になりたかったですね。ほかの教科よりフリートークが多くて楽しそうだったから。
人生に影響を与えた本は何ですか?
『できる・できないのひみつ』(学研まんがひみつシリーズ)。人間は何ができて何ができないかが書いてあって、小学生のころ、何度も読みました。最近、ネット通販のアマゾンで見つけて思わず購入。息子に見せたのですが、反応が今一つで寂しかったです。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
普段、結婚指輪をしているのですが、高座に上がる時は指から外して帯の下締め(じゅばんを巻くひも)の所にある袋に忍ばせておきます。無くすと妻に怒られるので。それが高座に上がる際の習慣になっています。
Infomation
春風亭一之輔さん2017年8、9月の寄席出演情報
8月中席(11~20日)鈴本演芸場《夜の部》18:00ごろ
8月中席(11~20日)浅草演芸ホール《夜の部》19:20ごろ(交互出演)
9月上席(1~10日)浅草演芸ホール《夜の部》トリ
※そのほか独演会なども行っており、ほぼ毎日高座に上がっている。気になる人は一之輔さんのホームページをチェック。ただし発売と同時に完売となることが多いのでご注意を。
新刊『春風亭一之輔の、いちのいちのいち』発売中
写真家キッチンミノルさんが、一之輔さんの2016年の毎月1日を1年間ずっと追い掛けた写真集。一之輔さん自身のショートエッセーも掲載され、一之輔さんの日常生活が楽しめる。落語も面白いけれど素顔にもまた別の面白さが潜んでいる。一之輔さんを知るには絶好の一冊だ。
出版元:小学館
定価:1,600円(税別)