第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.216 漫画家/コラムニスト 辛酸なめ子
好きでも違うと思ったら次なる道へ進んでみる
Heroes File Vol.216
掲載日:2020/5/22
好奇心旺盛でフットワークも軽く、興味を持てばどんな場所にも出かけていく。また、ユーモアあふれる視点を持ち、さまざまな社会現象にも切り込んでいく漫画家・コラムニストの辛酸なめ子さん。
数々の雑誌やウェブサイトに連載を持つ超売れっ子だが、それをみじんも感じさせないほど謙虚な人である。そんな彼女がどんな思いで仕事に取り組んでいるのか、探ってみた。
Profile
しんさん・なめこ/1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。ウェブサイトや雑誌などに連載し、著書『女子校育ち』『大人のコミュニケーション術』『ヌルラン』など多数。新刊『スピリチュアル系のトリセツ』『愛すべき音大生の生態』が発売中。
独特の画風と、ゆるりとした文体ながらも鋭く本質を突くコラムで人気の辛酸さんは、穏やかそうな容姿とは裏腹にかなりの行動派だ。
好奇心旺盛で、気になることは実際に経験して追究する。2020年の新刊『スピリチュアル系のトリセツ』も、パワーストーンや手相、風水、占い、神社、オーラ、守護霊、チャクラ、気功、波動などスピリチュアル系と言われるもののほとんどを実際に体験してまとめている。「それ系のイベントにも幾つか参加して、その場に集う人々についても書かせていただきました」
辛酸さんが漫画を描き始めたのは小学1年の時。「当時から妄想が好きで、ヨーロッパを舞台にした愛憎劇を漫画にしていました。今とは違って長編を描いていましたね」
中学のころからは美術大学へ進学したいという強い気持ちが芽生える。ところが両親は猛反対。あきらめきれない辛酸さんは「文化祭のポスターや修学旅行のしおりなど、これまでやった実績を両親に見せて本気度をアピールしました」。そのかいあって高3から美術系の予備校に通わせてもらうことになる。「その分、お小遣いはもらえなくなりましたが(笑)」
晴れて武蔵野美術短大のデザイン科グラフィックデザイン専攻へ入学。しかし、いざ授業を受けてみてがくぜんとする。「線を真っすぐに引けないし、色もムラができてしまう。私は細かな手作業が苦手でした」。自身が想像以上に不器用なことに気づいた辛酸さんは、もっと自分らしさを出せる、自由な表現方法は無いか模索する。「会社勤めも何となく自分には合っていない気がしていたので、就職しなくてもできることを何かやってみようと考えました」
くしくも自宅には父親が購入したパソコンのMacがあった。それを使って簡単なゲームやアニメーションを制作。作品をフロッピーディスクに入れて自主制作のミニコミ誌上で販売したりしていたら、作品を見た人から声が掛かって時々仕事が入るようになり、フリーペーパー作りを手伝ったりするようにもなった。
また、アート関連のイベントにも顔を出し始める。するとその場でさまざまなクリエーターたちと出会い、ここでも仕事をもらうようになっていく。「ゲームデザイナーの事務所でアルバイトをさせてもらいながら、雑誌の連載なども任せてもらえるようになって、仕事は徐々に増えていきました」
どんなに好きでも、違うと思えばスルッと次なる道へシフトチェンジ。そしてそこでやれることにとことん力を注ぐ。ほどよい情熱と柔軟さを絶妙なバランスで持ち合わせている。それが辛酸さんの強みである。
人が喜んでくれることを一生懸命にやっていく
学生時代から漫画やイラストを描く仕事を始めていた辛酸さん。ウェブサイトでつづっていた「女・一人日記」が話題となり、本を出版したのが20代半ばだ。そして美大を卒業するころからずっと自立したいと思っていた辛酸さんは、思い切った行動に出る。賃貸物件ではなく、いきなり都内のマンションを購入したのである。
「その時の私の経済状況だと家賃4、5万円の古いアパートに住むしかない感じ。でもそれはちょっとつらいなと。それで住宅ローンを組んだほうが安いと思い、700万円台のマンションを購入しました。26歳の時です」
こうして実家を出て独立したことで、自分の人生に対する責任感が芽生え、結果として仕事への覚悟もできたのでとても良い決断だったという。そしてそれ以降、多くの雑誌やウェブサイトの連載をこなし、単行本も次々に出版、ネットの動画番組やテレビ、ラジオに出演するなど活躍の場を広げていく。
ただ、これほど活動的だとつらいことも多かったのではないか。「そんなにはないんです。でもある時、渡したデータを無くされ、原稿の書き直しがやたらと多く、編集者とうまくいかないなど、ひと月で40個以上のトラブルが続いたことがありました。何だか仕事への覚悟を神様に問われているような気がしましたね」。自虐でもなくサラリとそう語る。彼女が発すると面白おかしく聞こえるから不思議。このおかしみこそがまさに辛酸さんの作品の真骨頂なのだ。
すでに20年以上のキャリアとなる。ここまでやってこられた理由を聞くと、「ほかに何もできることがなかったから。唯一自分にできることで社会参加させてもらっている感じがします」と謙虚。しかし、独立した当初から頑(かたく)なに守っていることが2つあると言い、どうもそれが今までの活躍につながっているようだ。
一つは締め切りを守ること。「編集者さんは、やっぱり原稿が締め切り前に納品されたらうれしいだろうなと思って」。そしてもう一つは、どんな仕事でも最善を尽くすことである。「長年やっていると調子が良い時も悪い時もあります。だから目の前のことを淡々と無心でやる。一見地味な仕事でも、誠意を持って続けていれば必ず良い時が訪れるし、それが大きな仕事につながることもありますから」
最新刊『愛すべき音大生の生態』が20年3月に発売された。知らない人にとっては謎のベールに包まれている音大生の日々の生活、恋愛や経済事情などをリアルにまとめた一冊。音大生という一つの生き方を、辛酸さん独自の切り口と視点でポップに楽しく伝えてくれている。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
CIA(対外諜報〈ちょうほう〉活動を行うアメリカの情報機関)にあこがれています。諜報活動がしてみたい! 私も仕事で情報を調べて潜入取材などをしているので、その延長線上でスパイもできるのではないかと時折想像したりしています(笑)。
人生に影響を与えた本は何ですか?
横尾忠則さんの著書『ARTのパワースポット』です。美術やデザイン、イラスト、映画、音楽、文学などあらゆるアートに対して、横尾さん独自の視点で鋭く切り込んだ“アートエッセー”。500ページ以上もある分厚い本で、学生時代に読みました。グラフィックデザイナーとして精力的に活躍されている様子が描かれていて、とても刺激を受けました。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
石です、勝負石。ラブラドライト、ローズクォーツ、ハーキマーダイヤモンドなど色々と持っています。石は何十億年前から地球上にいる先輩みたいな存在。そういう英知のようなものに触れたいと思った時、触ったり眺めたりしています。つらい時や悩んでいる時は気づいたら握りしめたりしていますね。
Infomation
2020年度刊『スピリチュアル系のトリセツ』『愛すべき音大生の生態』発売中!
子供時代からスピリチュアルなものに興味を持っていた辛酸さんが、スピリチュアル美容やオーラ、チャネリング、死者との交流など、実際に体験し、増え続けているスピリチュアルな人々の実態を分析した本『スピリチュアル系のトリセツ』(2020年1月24日発売/平凡社)。スピリチュアルを肯定しつつも、鋭く冷静なツッコミも入れていて思わずクスッと笑える。「不安な世の中だからこそ、見えない世界に頼って生きるのも手だと思います」と辛酸さん。
そしてもう一つの本『愛すべき音大生の生態』(20年3月13日発売/PHP研究所)は、美大出身の辛酸さんが音大出身の担当編集者と共に、東京近郊の音大の学園祭を訪問したり、現役音大生の座談会を開いたり、ゴーストライター騒動で有名になった新垣隆さんとの対談を行ったりと、3年間かけてじっくりと取材し、書き下ろした一冊。「私にとって本当に未知の世界だった音大生の生活。卒業後に演奏活動を続けるのは相当大変だということも分かりました」。音大や音大生のリアルな実情、そして音楽そのものに興味がある人にもおすすめの一冊だ。