働きやすい、自分にピッタリの職場。けれど、徐々にやりたい仕事とのギャップが……。
子どものころから絵を描くのが好きだったH川さん。地元の美術大学に入学しデザインを専攻。就職活動ではやりたいことを特に絞りきれず、教授の紹介で地元の広告代理店に就職を果たします。当時は「この仕事がやりたい!」という強い思いを持てないまま入社したと言うH川さんですが、仕事はとても楽しく職場も働きやすかったそう。
「クライアントは地元自治体や公共団体が多く、堅めの広告デザインを得意としている会社でした。入社後すぐはアシスタントとして先輩の補佐を任されていたのですが、徐々にデザインやプロモーションのアイデア出しにかかわれるようになり、仕事が面白くなってきたんです。また、納期さえ守れば自分のペースで仕事が出来ましたし、有休も自分の好きな時に取ることができたので、かなりありがたかったです」
H川さんにとって、自分のペースで休みが取れることは、とても重要なことでした。というのも、実は彼女には10年来追っかけをしているアイドルがおり、東京で行われるコンサートには欠かさず足を運んでいたため、有休が取りやすい職場は願ってもないことだったそう。
「給料はそれほど多くは貰っていませんでしたが、地元は物価も安いので、趣味であるアイドルのヲタ活(コンサートに行くなどアイドルヲタとしての活動)に使うお金は十分ありました。ただ、徐々に仕事にこだわりを持つようになり、もう少し多くの人をターゲットにして、自分のアイデアで勝負できるような広告を手掛けてみたいという気持ちが高まっていきました。でも、会社から期待されているのはクライアントの意向を上手に汲んで無難に調整すること。今の場所では、私がやっていきたい仕事が実現できそうになく、なんとなく転職を意識し始めました」
だんだんと、求められている仕事とやっていきたいと思う仕事にギャップが生じていたと言います。ちょうど同じころ、H川さんの周りに変化が起き始めます……。
気づけば「幸せ」に向かってレールが敷かれた人生。でも、それって本当に幸せ?
就職して3年ほど経ったころ、H川さんの周りの友人や姉が続々と結婚。毎月のように結婚式に出席するなかで、自分にとっても結婚がそう遠くない未来だということに気づいたそうです。というのも、H川さんには当時2年ほど付き合っていた彼氏がおり、その彼というのが子ども好きで、家庭を持つことにあこがれているタイプだったそう。しかも、彼の職業は公務員。
H川さんはこの時「自分の人生が見えないレールに乗ってるな……」と思ったそう。
「このまま何もなければ、周囲の空気に背中を押され、近いうちに彼と私は結婚して、子供を持つのだろうなと。職場にも子育てしながら働く女性がたくさんいて、私の未来の“お手本”のような方がたくさんいたので容易に想像がついたんです。彼からはプロポーズこそありませんが“いつかは自分達も”という雰囲気がありましたね。でも、もしも地元で結婚したら今のようなヲタ活は続けられないだろうなと、真剣に悩んでいました。アイドル中心の生活をもう10年続けてきたし、その人がアイドルでいる限りはずっと追いかけたいと思っていたので、諦めてしまうのはつらいなぁって。彼氏はまだ付き合って2年ですが、アイドルは、もう追いかけて10年ですから」
それまで、コンサートに行くために、地元の駅から東京まで新幹線で片道3時間、泊りがけで出掛けていたというH川さん。多いときには毎週東京に赴き、チケット代や交通費でひと月で20万円ほど掛かることも。
「地元で家庭と子どもを持ったら、常識的に考えて今までのようなヲタ活を続けていける訳がないですよね(苦笑)。そんなことを考えていたら、挑戦してみたかった仕事のこともあり、『上京する』という選択肢が見えてきたんです。東京に行けば、あこがれの仕事も、今と変わらないヲタ活の時間も、どっちも手に入る。仮に結婚して子どもができても、東京に住んでいれば、地元よりはヲタ活しやすいですから。彼と結婚することが嫌だったというわけではないのですが、このまま東京に行かず地元で結婚したら、きっと後悔するだろうなと思いました。だったら一度、東京に行ってみなきゃと思ったんです」
思い悩んだ末、H川さんは、彼にそのことを正直に打ち明けます。すると「あまり賛成できないけど、君がやりたいなら応援するよ」と言ってくれたそう。彼にも背中を押される形で、H川さんの転職活動がスタートします。