第一線で活躍するヒーローたちの「仕事」「挑戦」への思いをつづる
Vol.186 作家 朱野帰子
空しくなった時、ふと本当の夢が見えてくる
Heroes File Vol.186
掲載日:2018/7/20
女性を主人公にしたお仕事小説で人気を博している作家の朱野帰子さん。
職場で起こる「理不尽なあるあるネタ」をリアルに描いた小説『わたし、定時で帰ります。』では、朱野さんの会社員時代の経験が盛り込まれ、登場する「困った人たち」には自分自身のダメな部分も投影しているという。
そんな、朱野さんにとって思い入れの濃い「仕事」や「働くこと」についてお話を伺った。
Profile
あけの・かえるこ/1979年東京都生まれ。2009年『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞の大賞を受賞。15年には『海に降る』が連続ドラマ化。18年3月30日に発売された最新刊『わたし、定時で帰ります。』は新時代を告げるお仕事小説として注目を浴びている。
2018年春に発売された朱野さんの新著『わたし、定時で帰ります。』が好調な売れ行きを続けている。主人公は定時退社がモットーの、IT企業勤務の結衣。上司が決めた無謀なプロジェクトを物語の主軸に据え、結衣と周りの人たちが仕事とどう向き合い、苦悩をどう乗り越えていくかを描いた、新感覚のお仕事小説だ。
「会社の困った人の話を書いてみませんか?という担当編集者の提案が始まりでした。最初は、私のようにとにかく仕事を懸命に頑張るタイプを主人公にしようと考えたんです。でも、ゆとり世代の編集者が『上の世代が仕事に命を懸ける意味が分からない』と。その言葉にハッとさせられ、自分と異なる仕事観を採り入れるのもいいなと思い直して、残業をしないと心に決めた女性を主人公にしました」
朱野さんは子供のころから本が好きで、小説家を夢見ていた。しかし、大学時代に現役作家の講師から「作家はベストセラーでも出さない限り食べていけない」と聞かされ、普通に会社員になろうと就職活動を始める。とはいえ時代はまさに就職氷河期。ことごとく落とされ「1社落ちる度に、あなたはいらない人間だと烙印(らくいん)を押されているようで苦しかったです」。そんな過酷な就活の経験が、朱野さんを社畜のようにがむしゃらに働く人間にした。
「何とか小さなマーケティング会社に入社することができたものの、人一倍仕事を頑張らなければ会社にいられないという恐怖心が常にありました。それが原動力と化し、本当に死ぬ気で働いていました。決してブラック企業ではなかったのですが、自分で自分を追い込んで体を壊したこともありましたね」
その会社を7年勤めて退職。辞める少し前から小説を書き始めていたのがきっかけだった。「プレゼン用の資料作成が繁雑で、毎回膨大な時間を掛けていました。そんなある日ふと空しくなり、その時間をそのまま夢だった小説に費やしてみたくなったんです。それで小説の学校に通い、幾つかの新人文学賞に応募。それだけで気が大きくなって『私は小説で食べていきます』と言って会社を辞めました」
当初は派遣会社に登録して定時で終わる仕事をしながら小説を書くつもりだった。でもリーマン・ショックが起こり、更に賞の落選通知も来て……。のんきになんてしていられないと思い、急きょ転職活動を開始するのだが、そこでミラクルが起こる。「食品会社の内定通知と同時に、ダ・ヴィンチ文学賞の大賞受賞のお知らせが届いたんです。思いがけず二足のわらじを履くことになりました」
自分の中に、自分のプロデューサーを持つ
09年に新人文学賞の大賞に輝き作家デビューした朱野さん。それから1年半ほどは、小説を書く一方、賞の受賞と同時期に入社した食品会社でも働いていた。賞を取っても、まだ作家だけでやっていけるはずがないと思っていたからだ。その後、会社の事情もあって退職し晴れて専業作家となる。ただ今度はその仕事に没頭し、朝昼晩関係なく小説を書き続けるという日々を送るようになってしまう。
「会社を離れて自由になったはずなのに、ずっと作家でやっていけるかどうか不安だったので、過労状態に自分を追い込むことでその不安をかき消そうとしていたところがあります。今6歳と2歳の子供がいるのですが、下の子を出産する前日まで仕事をしていて、1カ月後にはまた書き始めていましたし」
そんな仕事の仕方に変化が訪れたのは、小説『わたし、定時で帰ります。』を書き始めてからだ。主人公は定時に帰るために誰よりも効率を追求するという、朱野さんとは真逆のタイプ。それだけに最初はどこか絵空事を書いているようだったという。しかし、書いていくうちにどんどん心が軽くなるのを感じた。
「才能がないかも知れないという気持ちに真正面から向き合っていなかったことや、仕事の評価は時間の長さで決まるのではなく何を成し遂げたかが大事なんだということを、この小説を通して私自身が気づかされました」
デビュー作『マタタビ潔子の猫魂』から『海に降る』『駅物語』など女性が主役のお仕事小説を相次いで発表してきた。いずれも生き生きとした人物造形と綿密でありながらもダイナミックなストーリー展開で人気を博している。
「私は、心が疲弊している時いつも小説を読んできました。その時間だけはほかのことをすべて忘れられるし、読み終えた後で少し心が強くなるからです。読者の方にとってもそういう存在になれるような本を書き続けたいですね」
これまでのさまざまな経験から最近思うことがある。それは、好きな仕事をする人ほど自分を俯瞰(ふかん)する目を持ったほうがいいということ。
「自分の中に自分のプロデューサーを持つということでしょうか。好きなことを好きなようにやりたいと思っているうちはアマチュアで、それでは本当にやるべきことがつかめない。ちょっと引いて客観的に自分を見つめ、次に何をすべきかを指示できるようになれば、しっかりと結果も出せます。今考えると、がむしゃらだけで突っ走っていた私はどこかアマチュアだったかも」。すでに次回作も書き始めているという朱野さん。次は何を教えてくれるだろう。
ヒーローへの3つの質問
現在の仕事についていなければ、どんな仕事についていたでしょうか?
いかようにもなっていたと思いますが、できればコンサルティング会社などに勤める高収入の会社員になってみたかったです。
人生に影響を与えた本は何ですか?
映画『ネバーエンディング・ストーリー』の原作にもなったミヒャエル・エンデの『はてしない物語』です。いじめを受けていた主人公の少年が、本の中に描かれている世界「ファンタージエン」へ行くのですが、そちらの方がもっと過酷。でも少年は、それを乗り越えて更に前へと進んでいく。そこが私は今でも好きですね。
あなたの「勝負●●」は何ですか?
肉です。「今日は頑張るぞ!」という時も、心が弱って頑張れないという時も、ステーキなどの肉料理を食べますね。
Infomation
小説『わたし、定時で帰ります。』発売中
長時間働くことがやる気がある証拠だなんていう時代はもう終わり! 朱野さんの新著『わたし、定時で帰ります。』の主人公は、絶対に残業をしないと心に決めている会社員の結衣。時には批判されることもあるが、彼女にはどうしても残業したくない理由があった。仕事が最優先の元婚約者や風邪をひいても休まない同僚、すぐに辞めると言い出す新人など様々な社員に囲まれて働く結衣。そんな彼女の前に、無茶な仕事を振って部下を潰すといううわさのあるブラック上司が現われる——。これまでのお仕事小説は、様々な苦難を乗り越えて一つのプロジェクトを成し遂げ、大団円を迎えるというものが多かったけれど、本作はより個人の働き方にフォーカスして仕事というものが描かれていく。だから読む人は自分のことのようにリアルに受け止めながら楽しめる。「私は会社員時代、会社でためたストレスを家に持って帰りたくなくて、帰りの電車で本を読んで気分をスッキリさせていました。そんな風に基本的にはエンタメとして楽しんで欲しいですね。そして願わくば、爽快な気分になり、明日も頑張ろうっていう気持ちになってもらえたらうれしいです」と朱野さん。
出版元:新潮社
定価:1,400円(税別)
発売日:2018年3月30日